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2025/01/30
Vienna Synchron Stage / 最先端を超えた、伝統と現代テクノロジーの融合。
シネマサウンドがまさに生み出される現場、スコアリングステージとして世界でも屈指の規模とクオリティを誇るVienna Synchron Stage。音楽が生活の一部、文化ともなり作品やプロダクトが育まれているオーストリア・ウィーンの地において、どのような環境が整えられているのだろうか。併せてお届けする、Vienna Synchron StageのエンジニアであるBernd Mazagg 氏、また今回の訪問をアテンドしていただいたLEWITT社 CEOのRoman Perchon 氏のインタビューを通じてみると、ウィーンが持つクリエイティブに対するアティチュードや空気が感じられてくる。
(Text by 伊部友博(MiM Media))
伝統と最先端が折り重なる瞬間
「美しく青きドナウ」、19世紀のウィーンで活躍したヨハン・シュトラウス2世が書き残したワルツは、今でもオーストリア国民の琴線に触れるメロディで深く愛されているという。そのドナウ川が東西に横切り、かつてバルト海とイタリアを結んだ街道との交点という要衝にウィーンは位置している。ご存知の通り、オーストリア=ハンガリー帝国の首都であり音楽の都として栄え、20世紀の初頭にはすでに200万人の人口を抱える世界屈指の都市となっていた。
現在も同等の人口を抱え、23の行政区で構成されるウィーン市街は地下鉄と路面電車がくまなく走りながらも、シュテファン大聖堂などの伝統的な建造物が数多く残され、いまもその街並みとともにある。ヨーロッパの都市はいずれもそうだが、市街地を見回すとまるで中世にタイムスリップしたような感覚とそれに折り重なる現代のテクノロジーが交錯する、一種の浮遊感のような不思議さが唯一無二の魅力ではないだろうか。
このような歴史と伝統をいまに活かしていく文化は、音楽の都ウィーンにおける音響の分野についても同様である。今回訪問したVienna Synchron Stageは、歴史的なランドマークとなる建造物として保護されていた「Synchron halle」を受け継いだ施設だが、最新鋭の設備を整えたまさしく「いま」の映画音楽を支えるスコアリングステージとなっている。
世界的タイトルを支えるステージ
📷Vienna Synchron Stage / STAGE A
オーケストラとシンセで壮大な世界観を作り出し、数多くの映画音楽をリリースしてきたハンス・ジマー。第一人者と言って過言ではないハンス・ジマーもこのVienna Synchron Stageのクライアントである。公式なオープン直後には、ロン・ハワード(「ダ・ヴィンチ・コード」、「アポロ13」など)の「インフェルノ」、ピーター・モーガン(「クイーン」など)のNetflix作品「ザ・クラウン」がこのSynchron Stageでレコーディングされている。スタート段階から世界的なタイトルで使用されることからも、ステージが持つその実力は折り紙つきで制作サイドの信頼と期待がうかがいとれるだろう。STAGE Aのクラシカルな見た目とは裏腹に、そのファシリティが最新タイトルをしっかり支えることができることの証左と言えるのではないだろうか。
ハウス・イン・ハウス構造
📷施設外観、竣工当時より特殊なハウス・イン・ハウス構造を採っている。
このVienna Synchron Stageはその源流を辿ると、戦前1939年の”Synchron halle”に遡る。戦争という暗い影の中での誕生となったわけだが、国の威信がかけられた建造物だけあって、その建設当初から画期的な構造を持っていた。外部からノイズをできる限り防ぎたいのは今も昔も同じであり、ここでは竣工当時の特別な設計基礎で建物を分離し、ホールへの空気の流入までも遮断するハウス・イン・ハウス構造が用いられている。つまり、レコーディングにまつわる施設が建物の中にさらに建てられている格好となり、録音で使用されるスペースはオフィスなどと完全に分離されている構造だ。壁と壁の間は最大で10フィートの空間が設けられているそうで、これだけの広大なスペースでありながら遮音に対する建物自体のまさしく基礎体力が違う。
📷竣工当時のVienna Synchron Stage / STAGE A
このノイズに対するケアは現在の空調にも及んでいる。通常であれば換気は煙突効果に伴ってスペースの上方に向けて流れていくが、ノイズの原因ともなりうるために逆転の発想で天井から空気をゆっくり押し流して排気しているそうだ。暖房・換気・空調を担う統合システムが地下に設けられ、STAGE Aほかの各部屋や楽器保管室とつながっており、温度・湿度を一定に保つだけでなく無騒音で稼働する。このシステムは非常に大きな体積の空気を処理しており、すべての空気が1時間に2-3回入れ替わるほどの能力持っているとのこと。この空調システムのおかげでコロナ禍においても営業を続けることができたほどだそうだ。
歴史の中に息づく最新ファシリティ
そして、この”Synchron halle”は戦後もスコアリングステージとして稼働しながら、歴史的建造物の認定を受け、オーストリア放送協会(ORF)のもとで運営されていたのだが、時を経た2013年にVienna Symphonic Library GmbHが施設を購入し改修計画がスタートする。2015年の公式オープンに至るまで2年の歳月をかけて行われた改修は、建物自体の基礎体力は活かしながらもゼロベースで新設されていったそうだ。
📷Vienna Synchron Stage / CONTROL A
まず、Synchron Stageの中枢とも言えるのがCONTROL Aである。STAGE Aの最奥に窓が見えるのがわかるだろうか、中空2Fに設けられたこの窓の向こうがCONTROL Aとなっており、そこからはSTAGE Aの全体が見渡せる。後方のゲストエリアも含めると115平米もの広さを持ち、近代的ながらも木材をふんだんに使った室内には最大で25名ほどが収容できるそうで、設計段階から大規模なプロジェクトをあらかじめ想定していたこともうかがいとれる。コントロールルームの上部には音響調整用の反射板や吸音板が張り巡らされているが、これはこの部屋のために測定を行い製作されたワンオフのもの。デザインにも配慮されており存在感を感じさせないのだが、実際にはこの部屋がより大きな部屋に感じられるような効果を生み出しているという。
メインコンソールのSSL Duality 96chは扇形に据えられ、その上には500シリーズのNeve 88RLB、BAE 312A、AEA RPQ500、Meris 440がずらりと並べられている。スピーカーはラージにADAM S6Xがサラウンドで設置されるほか、ミッドフィールドにADAM S3H、ハイトにADAM S2V、LFEにADAM Sub15を用意、最大で9.1ch(Auro3D)のセットアップとなる。このコントロールルームと各ステージ・ブースとの回線となるレコーディング・チェーンはすべてアナログで、サウンドエンジニアが必要とする「色」を残した形でミックスが行えるように設計されているそうだ。これ以降はDanteで接続されており、クライアントの要望次第では96kHzのみならず192kHzのサンプリングレートで制作が進められることもあるという。
📷Vienna Synchron Stage / CONTROL B
CONTROL BはSTAGE Aを挟んだ反対側に位置している。CONTROL Aと連携することもありながら小規模なSTAGEでの収録やアイソレートブースでの収録などを主に行っているそうだが、SSL Duality 48chとDolby Atmos 7.1.4で構成されたADAMのスピーカー群を見るとその規模感は補完的な意味合いを超えたものとなっている。そのほかにもプロデューサー向け、コンポーザー向け、エディター向けのラウンジがプリプロ用に用意されるだけでなく、ここに200を超える楽器のストレージ、もちろんオフィスとしての機能も加わり、2,000平米ものスペースは余すところなく有効に振り分けられている。
創り出すということだけへ集中する空間
そしてVienna Synchron Stageの顔となるのがメインのスコアリングステージであるSTAGE Aである。こちらは最大130名を収容する540平米の広さをもち、天井高は最大で12m、他に類を見ない音響特性を生み出す源となっている。前述のハウス・イン・ハウス構造やエアフローの特別なシステムなどでノイズレベルも16 dBAと非常に低く、外界と隔絶されたクリエイティブな空間は創り出すということだけへの集中を促される。
訪問当日にデッカツリーでセッティングされたメインツリーにはNEUMANN M 150 Tube、Sennheiser MKH 8020、LEWITT LCT 1040、といったマイクが設置されていた。映画音楽においては、非常に静かなニュアンスのストリングス録音を行うことも多々ある。しかもそのストリングスを2層、3層と重ねていくため、「ノイズがない」ということ自体が重要なファクターとなってくるそうだ。その結果のマイクセレクトが前述となっており、いわゆるヴィンテージマイクが用いられていないのもこの点からだという。
特に、LEWITT LCT 1040についてはFETとチューブを選択できるため、大編成でのOmniから、小規模な編成であればカーディオイドにしてチューブとFET混ぜていくなど、録音するオーケストラの規模によってキャラクターを合わせていけることが魅力。チューブ、FETのどちらかだけではなくミックスできる点にソースに対する対応力を感じるそうだ。そして、リモートでコントロールルームから設定を変更することもできる。こうした利便性も、伝統的な印象のSynchron Stageで、イメージに反してヴィンテージが使用されていないひとつの理由だ。
📷写真左上より、STAGE B、ISO BOOTH、INSTRUMENT STORAGE、下段はCOMPOSER’S LOUNGE、EDITOR’S LOUNGE、PRODUCER’S LOUNGEと並ぶ。
●Vienna Instruments
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に所属していた経歴を持つチェロ奏者Herb Tucmandlにより、2000年に設立されたVIENNA SYMPHONIC LIBRARY社。大容量オーケストラ・ライブラリの先駆けとなり、オーケストラを知るプロならではの設計思想とリアリティのあるサウンドが評価され、Vienna Instruments音源シリーズは2005年から約19年にわたる超ロングセラーを記録。2017年には、Vienna Synchron Stageで収録されたサウンドを処理する高性能エンジン「VIENNA SYNCHRON PLAYER」を開発し、交響楽や室内楽、合唱団などのオーケストラ音源を中心に数多くの製品をラインナップしている。各楽器のシートポジションで録音されたサウンドは、Vienna Synchron Stageの音像が再現された仕上がりになっているだけでなく、同社がステージを全面改修して目指した理想のオーケストラサウンドを手に入れることができる。
ここまでVienna Synchron Stageの施設としての概要を見てきた。歴史的建造物として保護されるような建物に現代最新の設備が収められ、前世代のテクノロジーの付加価値と現代の技術が溶け合うことで、言わば「最先端を超えた」施設になっている。記事内でご紹介したVienna Synchron Stageのホームページにはさらに詳細なファシリティの紹介がなされており、見るだけでも探検しているような感覚で、最先端を超えたという意味合いも一層感じていただけるだろう。続いては、このVienna Synchron Stageでエンジニアを務めるBernd Mazagg 氏のインタビューをお届けする。
『 オーディエンスのために最高のクオリティで感動を生み出す 』
〜Vienna Synchron Stage / Bernd Mazagg
📷Vienna Synchron Stage / Bernd Mazagg 氏
ウィーンの歴史あるランドマークともなっていたシンクロハレを受け継ぎながらも、最先端の設備を導入して現代的なスコアリングステージへと変貌を遂げたVienna Synchron Stage。21世紀となったいまでも最新シネマサウンドを数多く生み出すこの場所で、サウンドエンジニアリングを手がけるBernd Mazagg 氏にお話を伺うことができた。
Q:このSynchron Stageは2013年に引き継いでから、2年の計画期間を経て全面改修されたそうですが、どのような改修がなされたのでしょうか。
Vienna Synchron Stageは、音源ソフトウェアメーカーとしても知られているVienna Symphonic Library GmbHの一部門となっています。同社は音源の開発に14年間携わった後の新たな挑戦としてスコアリング・ステージを作ることにしたんです。そして、現在のSynchron Stageとなっているホール6をオーストリアの放送局ORFから購入し、2013年から計画をスタートさせ、2015年の初めに実際の改修を開始しました。このプロジェクトは建築の世界で著名なWalters-Storyk Design Group (WSDG)と建築家のSchneider+Schumacherとのコラボレーションになっており、私たちはプロジェクトに深く携わることができました。
Q:長い歴史を持つステージですが、音響的な改修もあったのでしょうか。
そうですね、例えばSTAGE Aは音響的に私がこれまで聴いた中でも最高と言える部屋のひとつです。ただし、70年代から80年代にかけてのようですが、誰かがコンクリートの床を持ち込んだり、壁の音響パネルを布に張り替えたり、あちこちに小さな損傷が見つかったんです。私たちは幸運にも建設当時の作業日誌を見つけることができ、この施設を建設する際に何を達成しようとしていたのかを理解することができました。そして、WSDGの協力を得ながらコンクリートの床を撤去し、大きな音響要素である木製の床を導入し、「プロらしくない」音響要素を取り除いて、より良い中域の周波数特性を持ったオリジナルの音響を取り戻すことができたんです。
CONTROL Aがある場所は、以前は小さなレコーディング・ステージで、初期のころはフォーリー・ステージでした。つまりここは、コントロールルームとするためにゼロから作られた部屋で、ここでもWSDGは音響面で素晴らしい仕事をしてくれました。96チャンネルのSSL Duality、ADAMのスピーカー(S6xとSub15で5.1ch、S3H、S2VとSub15で5.1.4chのセットアップ)、NeveやBAEといった数多くの500プリアンプモジュール、3式のPro Toolsも最新鋭のものを導入しています。また、ウッドがふんだんに使われ、素敵な照明もあり、この部屋で仕事をするのは最高の気分なんです!
CONTROL Bも完全な新設です。実はこのエリアを建設するために5つの部屋を取り壊さなければなりませんでした。CONTROL Bは、48チャンネルのSSL Dualityを中心に、ADAM(S5H、S3H、S2VとSub15)のDolby Atmos認証を受けたセットアップとなっていて、小規模なレコーディングやミックスに使用します。すぐそばのISO BOOTHはCONTROL Bに直接接続されていて、ボーカルブースとして使うだけでなく、ハープをオーケストラからアイソレートするために使ったりもします。STAGE Bもゼロから設計されており、CONTROL Bを使用したレコーディングや、ピアノ、パーカッション用の大きなアイソレートブースとして使用しています。
これらの部屋はすべてアナログで接続されており、指揮者とミュージシャンの間のレイテンシーを考慮しています。建物内にはDanteネットワークが張り巡らされていて、8kmのアナログケーブルと36kmのネットワークケーブルが引き込まれているんです。また、ビデオマトリックスで制御されるアナログビデオシステムも導入されました。
📷CONTROL Aのコンソールに並んだ500シリーズ
Q:こちらでのでの録音はやはり映画音楽が多いのでしょうか?
ほとんどの場合、映画音楽やストリーミングサービスの作品についての録音です。主なクライアントはMarvel、Netflix、Disney+、Apple TVなどで、ルーカスフィルムの「The Acolyte」、マーベルの「Loki 2」、「ロード・オブ・ザ・リング」のメインテーマと聖歌隊も録音させていただきました。ゲーム作品についてもVRの「Asgard’s Wrath 2」や「スター・ウォーズ ジェダイ:サバイバー」など数多くのゲーム作品も録音しています。ということで、質問にお答えするとなると95%が映画やゲームのスコアリングで、5%がその他のレコーディングといったところでしょうか。
Q:オリジナルのスコアリング・ステージにはフィルム・オルガンもありますよね。
この施設は2009年にランドマーク保護の建造物に指定されていますが、その主な理由はオリジナルのスコアリングステージに収められている世界で唯一のシネマ・オルガンにあります。残念なことに、警察が取り壊しを中止させる前にすべてのケーブルとリレーはすでに取り外されていたので動くことはなく、改修には莫大な費用がかかるのですが、私たちはなんとか使えるようにならないかと考えています。昔は演出に深みを出すためにオーケストラと一緒にとても低い音を出すのに使われていました。あと、シネマFXとしても使われていたんです。乗馬、電話、ホーン、ドラムセット、雷など、ありとあらゆるFXでこのLenkwilのオルガンを使い録音するのはとても楽しかったでしょうね。
📷世界で唯一となるLenkwilのフィルムオルガン
Q:そのような伝統的なファシリティがある中で、現代の録音機材や技術はどのように映っているのでしょう。
損失よりも利益の方が大きいと思います。ヒスやノイズは減ったし、録音スピードも昔よりずっと速くなりました。録音を再開する前に必ずテープを巻き戻したり、トラック数の制限についてを考えてもそうです。確かに、アナログ・テープを使うと暖かい音がしますが、良いコンバーターを使えばそれに近づけるのではないでしょうか。コンバーターの前に本当に良いアナログの経路があることがとても重要です。優れたマイク、優れたプリアンプ、信号が変換される前の優れたアナログ機器。これはあくまで私の意見ですが。
Q:中でもこの広大なステージを収録するには優れたマイクが数多く必要となりそうですね。
通常のセッションでは最大70本のマイクを使いますが、大規模なセッションになると90本にもなります。メインマイク(LCR)はNeumannのM 150で、セクションごとのマイキングにはM 49、U 67、U 87、KM 184を使いますが、MKH 800やMKH 8000シリーズといったSennheiserのマイクもたくさん使います。ブラス用にはAEA44、Royer SF2、Coles 4038のようなリボンマイク。それから、いわゆるワイドとしてよく使っているのがLEWITTのLCT 1040で、真空管とFETの中間のような音を作れるのが気に入っています、リモートでスイートスポットのセッティングを聴いたりできるのも素晴らしいですよね。LCT 540 Sは非常に用途の広いマイクで、私はチェロ、ティンパニ、ピアノ、そして多くの打楽器に使用しています、ノイジーになりすぎることなく多くのゲインを得ることができるんです。
📷訪問時にセットされていたSTAGE Aのメインツリー、またLEWITT LCT 1040のリモートコントローラーはCONTROL Aに設置。
Q:あなたにとっての理想的なオーケストラ・サウンドについて教えてください。
オーケストラの音がみずみずしく、それでいてサウンドの上部やセクション間に空気感があるのが好きです。定位の良さと奥行きは私にとってとても重要なんです。でも一番大事なのは、エモーショナルで魂に響くようなサウンドであること。これを実現するためには、オーケストラの適切なバランスを見つけなければなりません。ただ、これには大変な時間が必要となるので、私たちがウィーン交響楽団という自分たちのオーケストラを持てているということは非常に幸せなことです。ミュージシャンたちとは長い間一緒にいて、演奏を聴いたり感じたりすることができています。オーケストラのバランスを整えることは、エンジニアにとって最も重要な仕事です。確かにマイクのセットアップが優れていることも重要ですが、オーケストラではそのバランスが最も重要でしょう。
Q:ありがとうございます。最後になりますが、ウィーンから産み出される音楽や製品に込められたスピリットとはどのようなものでしょう。
「音楽がすべて」ということです。たとえ、その背景が非常に技術的であったとしても、重要なのは音楽を創造すること自体なんです。私たちが録音しているときには、誰も技術的な細かいことを考えてはいません。私たちの目標は誰もが音楽に100%集中できるようにすることです。それはサンプルの制作でも同じです。音楽家は作曲や楽器の演奏に集中すればよく、バックグラウンドで起こっている複雑なことは考えなくていいんです。すべてはオーディエンスのために最高のクオリティで感動を生み出す、これを第一にしています。
『 ”Make yourself heard” すべてのクリエイティブなマインドを現実に 』
〜LEWITT GmbH CEO Roman Perchon
📷LEWITT GmbH CEO Roman Perchon 氏
ウィーン工科大学で学んだのちにAKGでそのキャリアを積み、マイクにはまだまだ進化の余地があると2009年にLEWITT GmbHを立ち上げたRoman Perchon 氏。2014年の日本上陸時にもインタビューを行っているが、10年という時間の中でそのラインナップも増え、ユーザーからの支持、そしてポジションも確立されたいま、どのようなビジョンで次のステップを見ているのか、ウィーン・LEWITT社にてお話しを伺うことができた。
Q:LEWITTを取り巻く環境に多くの変化があった中で、現在のビジョンと10年前のビジョンの変化や違いをどう感じますか?
そうですね。とても多くのことが起こりました。もし、私たちのビジョンについて何が変わったかと聞かれたら、私たちはまだ同じ価値観と同じビジョンを持っていると思います。設立当初から”Make yourself heard”というスローガンを掲げていたのですが、今でもこのスローガンを大切にしています。
私たちのビジョンはクリエイティブなマインドを持つすべての人たちが、卓越したサウンドで自分自身を表現できるようにすること。そして、私たちがどのようにサポートできるかというと、優れた製品、クオリティを向上させる製品、ワークフローを簡単にする製品、アーティストやユーザーが本当にやりたいことをするためのスペースと時間を提供する製品を提供することです。曲を演奏するとかレコーディングするとか、やりたいことを実現するための本当に良いツールを「すべてのクリエイティブな人々」に提供したいんです。それは昔から変わっていません。だから、そういう意味では同じです。大きく変わったのは、私たちが成長したことで、このビジョンにより近づいたことです。
Q:確かにこの10年で新たなユーザー層が出てきていますよね。
そうですよね。YouTubeやPodcastをやっている人がたくさん増えました。そして、ストリームや自分のホームスタジオを持っている人も増えました。そして、今まで通りプロのスタジオやテレビ局ももちろんあります。だからこそ、ビジョンを考えるときは「すべての」クリエイティブな人々と言いたいんです。
Q:そして、新しい技術やサステナビリティなど環境自体も変わってきています。
持続可能性はとても重要です。ここで働くすべての人たちもお客様も持続可能性に関心を持っているでしょう。私たちは日用品ブランドではありません。私たちの製品は、基本的に生産された時点で環境にかなりのインパクトを与えることになります。私たちのゴールは、品質がよく、長期間にわたって優れた性能を発揮する製品を提供することです。長く使える製品を作ることで、生産時に環境に与える負荷や環境フットプリントを最小限に抑えられるようにしています。
他にも、製品を設計する際には材料についての検討を行って配慮したり、パッケージについてもそうです。例えば、LCT 1040のようなハイエンド製品では内装にクッションとなるフォームインレイを使用しますが、ほかの製品ではその代わりに紙パルプを使用する場合もあります。また、LCT 440 PURE - VIDA editionは、NGO「Rainforest of the Austrians(オーストリアの熱帯雨林)」とのプロジェクトで、収益の一部をコスタリカの森林保護のために寄付しています。これからも、このようなウィンウィンとなる連携を探していきたいですね。
Q:技術面としてはイマーシブのフォーマットが登場してきました。
私たちが音楽を聴く方法について、たくさんの進歩が起こっているのを見るのは本当に素晴らしいことですよね。非常に専門化された形ではなく、すべてのクリエイティブなマインドが現実になるような興味深いアイデアがあるかもしれません。私たちができることがあるかどうかを見つけること、議論を重ねることが必要です。
📷ウィーン、LEWITTオフィス内にはイマーシブのセットも
Q:LEWITTの祖業はマイクメーカーですが、オーディオ・インターフェイスやヘッドホンなど製品ラインが拡がってきていますよね。
まず、私たちは非常にグローバルな組織を確立して多くの市場に進出しています。そして高度な知識や技術も持っています。ならば、それをある製品カテゴリーだけに適用するのではなく、他のどのような製品が潜在的なユーザーにとって必要なのかということに用いたいと考えたんです。クリエイティブな心を持っていて、できるだけ効率的で自然な方法で自分自身を表現したいのであれば、どこでどんな製品が必要だろうか、どうやってワークフローやクオリティを向上させることができるのか。そう考えるとユーザーはマイクだけを使うわけではありませんので、オーディオ・インターフェースも提供するというのはとても自然なステップだったんです。
そしてもちろん、こういったクリエイティブな人々はヘッドフォンも使いますよね?スピーカーや他の製品も使います。それから、当然ビジネス上の考慮もあります。顧客グループの規模は?これを開発する技術はあるのか?そのような製品を開発するために、どれくらいの投資が必要なのか?もちろん、こうしたことも考慮しなければなりません。でも、私たちが本当に興味があるのは、自分自身を表現したいクリエイティブなマインドのためのエコシステムを構築することなんです。
Q:次の質問ですが、将来のマイク制作において何か特別な言葉やキーワード、技術やアイデアはありますか?
私たちがいまとても注目しているのはAI、ニューラル・ネットワークです。私たちの製品には次々とソフトウェアを採用していますので、製品の在り方も大きく変わっていくでしょう。その変化の中でも、私たちは受動的な傍観者ではなく、むしろ積極的なプレーヤーでありたいのです。AIはとても興味深い研究分野ですし、私たちはすでにこの技術を用いています。もちろん、将来のプロジェクトにも応用するつもりです。
📷ヨーロッパらしく1人あたりのスペースが広く取られた開放的なLEWITTオフィス
Q:LEWITTは比較的新しい会社でありながら、主要なマイクメーカーの一角となりました。その成長要因はどのようなものだったのでしょう。
まず、私たちは常に大きなインパクトを与えたいと考えていました。小さなブランドのままでは実現できないことであることは明白だったので、私たちはグローバルブランドになりたかったんです。この点について創業当時の私はとても幸運で、ビジネス面でも製造面でもサポートしてくれるパートナーに出会えました。そして、クリエイティブで知識豊富なチームを組むこともできました。その人々と、高度な技術力、それを正しく応用するアイデアによって、エンドユーザーに対して他社が提供できないような価値の提供を実現してきました。
もう一つは、市場やユーザーのニーズをよく理解することです。私たちは業界とのつながりが深いので、ツアー・アーティストやスタジオと緊密に連絡を取り合っています。このようなコミュニティに対して、彼らが既成概念にとらわれない発想ができるような時間と場所を確保すれば、あとは互いに会話が生まれて、たいていはたくさんのアイデアを発見することができます。
ただし、私たちにとって実は一番大変なのは、できることには限りがあるということです。人数、投資、時間、リソースは限られていますよね?たくさんのアイデアを得るのはいいことですが、もうひとつとても重要なプロセスは、それらをフィルタリングして本当に有望なものに集中することです。
📷ゆるやかな時間を感じさせるウィーンの街並み。下の写真はウィーン楽友協会、この大ホールは通称「黄金のホール」と呼ばれ、音楽の都ウィーンの中心的存在となっている。
Q:最後にお伺いしますが、ウィーンという場所はあなたの人生やビジネスにどのような影響を与えたでしょうか?
まず、ウィーンは私の故郷です。オーストリアとウィーンには、多くのマイクブランドが生まれてきたようにオーディオ・エンジニアリングの長い歴史があります。それに、ウィーンは夢を追うにもとてもいい場所だと思います。大都会の長所もありますけど、迷子になるほど大きくはないから疲れませんしね(笑)。
創業当時からそのビジョンは全くぶれていない。クリエイティブなマインドを現実にするための必要なツールを提供するという実にシンプルなもので、私心ではなく大義すら感じさせる。そのための既成概念にとらわれない新分野へのチャレンジも次々と行われている。このことがまたその先のシナジーを生んでいくのだろう、次の10年後にLEWITTがどのような姿で活躍しているか期待していきたい。
Vienna Synchron Stageを中心に見てきたが、ウィーンという街が持つ音楽の伝統や脈々と受け継がれた素養とでもいうべきようなもの、つまりカルチャーとして存在している「感覚」がごくごく自然に生活する人々からプロフェッショナルまで深く根付いていることがよく感じられたのではないだろうか。これは音楽のみならずクリエイターがモノを創る、表現を行うということに対するリスペクトの姿勢が現れているようでもあり、それが醸成されていった長い年月そのものがこのウィーンという街には息づいている、それを確かに感じさせられる訪問となった。
●Vienna Synchron Stage / HP
Synchron Stageの公式ホームページがこちら。Facilityタブの画面をクリックすると施設内の各部屋の詳細を見ることができる。
*ProceedMagazine2024-2025号より転載
Broadcast
2025/01/23
NTP、PTP、時刻を司るMeinberg製品
IT関連の時刻同期に活用されているNTP=Network Time Protcol、PTP=Precision Time Protcol規格。MoIPが一気に普及を始めているいま、我々もこれらの規格をしっかりと理解して運用する必要がある。ここでは、Meinberg社のグランドマスタークロック製品をご紹介しながら、NTP、PTPといった規格にも触れていこう。
時刻を司るNTPプロトコル
📷microSync RX
Meinberg社は1979年にドイツで創業した、この分野では歴史あるメーカーだ。当初はNTPのクロックマスターを専業とし、正確な時刻を出力する、まさに時計としてのマスタークロックを生産してきた。NTPは1980年代からコンピューターの時刻同期のための仕組みとして、様々な分野での活用が行われているレガシーな規格。我々の利用しているパソコンやスマートフォンは、インターネットから正確な時刻を得ているわけだが、この基準となっているのがこのNTP信号だ。これにより、インターネットに接続された世界中のPCの時刻は数十ミリ程度の誤差内に収められている。インターネット上には、世界各国が発信する世界標準時=UTCに対応するNTPがあり、日本国内ではNICT=日本標準時グループが発信するものが使用されることが多いのではないだろうか。それ以外にもGoogle、AWSなど世界規模のサービスを展開する企業がNTPを発信していたりもする。
このようにインターネット上には正確なNTPが存在しているのに、なぜローカルにハードウェアとしてのNTPが必要となるのだろうか。これは、NTPの受信に失敗した際や、NTPの受信が難しい状況などにおいても、NTPを使った同期システムを継続して運用するためである。例えば、国内の放送局では基本的にNTPをベースにしたシステムにより番組の放送を行っている。そのため、放送タイミングなどの基準としてNTPは非常に重要なものとなっている。その中での一例を挙げると、放送局内の時計はNTPを受信して正確な時刻を表示させることができる製品が使われていることがほとんどである。局内のNTPマスターから館内に引き回されたNTP信号網により、時計の同期が行われているということになる。
他の業種でもNTPの活用は古くから進んでいる。証券取引も世界規模での時刻同期が必要な分野である。現在はさらに正確性を高めたPTPが運用されているが、古くはNTPによる時刻同期により取引タイミングなどのジャッジが行われていたということだ。また、軍事・防衛関連、航空管制といった世界規模での同期が重要となるクリティカルな分野での活用が行われている。
現場で鍛えられてきたMeinberg製品
📷microSyncシリーズ
ローカルにハードウェアでNTP製品を持つということは、冗長化の意味も含めて重要なポイントである。NTP信号が途切れて同期が崩れてしまうようでは話にならない。信号が復旧するまでの間も正確な時刻を刻み続けられる製品でなければならない。MeinbergではTCXOもしくはOXCOのジェネレーターを搭載するオプションを設定している。再分配するだけであれば必要ない機能だが、信号が途切れた際に継続的に正確な信号を出力するためには、なくてはならないオプション項目である。世界中のクリティカルな現場で鍛えられてきたMeinbergは、自らが生成する信号精度にも自信を持っている。
NTPジェネレーターの専業メーカーとして歴史を積み重ねてきたMeinbergは、2008年よりPTP対応製品をリリースしていたが、さらに2019年にPTP技術を専門とするオーストリアのOregano Systemsを買収することにより様々な分野で活用されているPTPへの対応を加速させている。PTPは、NTP、GPSといった時刻同期に関する標準的な信号を取り扱えない現場で、NTPよりもさらに高い精度での同期を目指した規格。インターネットに接続できない、屋内などでGPSの受信ができない、このような状況は我々の業界では容易に起こり得る環境だ。このような中、NTPではなくPTPが次世代の伝送規格としてAoIPやVoIPのベースクロックとして採用されたのはある意味必然である。もともとミッション・クリティカルな現場や、NTPの安定受信の難しい環境、途切れた際のリダンダンシーなどを念頭にした製品をリリースしてきたMeinbergがPTPの製品を持つことになったのも自然な流れだったのかもしれない。
PTPの基準信号の基本は、GPSクロックを基準としたPTPの生成である。MeinbergのPTP対応製品のすべてはGPS入力を備えている。GPSの送信元は言うまでもなくGPS衛星である。非常に正確な原子時計が登載されたこれらの衛星からの信号は、高い信頼性を持って世界中で運用されている。GPS信号には時刻情報も入っているため、これを基準にPTPやNTP信号を生成することは容易い。余談ではあるが、GPSはアメリカが軍事目的でスタートさせた技術であり、それを民間利用に開放したという経緯がある。GPSは米国の軍事ベース技術となるため、各国では独自のGPSに準拠した衛星システムを持っている。EUは「ガリレオ」、ロシアは「GLONASS」、中国は「北斗」、日本でも「みちびき」と様々なシステムが運用されている。MeinbergはGLONASSへの対応も済んでいる、そのため世界中どこでも高い精度での測位衛星(GPS準拠衛星)からの信号を受けることが可能となっているわけだ。
自己ジェネレート、ホットスワップ
📷IMSシリーズ
放送業界でもMoIPのクロックとして活用が始まったPTPを扱えるということで、MeinbergはNABやIBCといった放送機器展への出展を行い自社製品のアピールを開始している。先に述べているように長年にわたるバックグラウンドがあり、PTPに対応したことで放送業界への参入を果たしたメーカーである、PTPグランドマスターを引っさげて突如現れたメーカーということではない。証券取引、軍事、航空管制といったクリティカルな現場で認められてきたMeinbergの製品。その仕様を見てみると、さすがという部分が多数ある。フラッグシップのラインナップとなるIMSシリーズは、電源、コントローラー、信号生成のための各種規格に対応したジェネレーターがなんとホットスワップ仕様になっている。サーバーの電源部分などでホットスワップ仕様は見ることができるが、クロックジェネレーターの電源でホットスワップ仕様になっているというのは類を見ない。これは、一度設置したら停止することなく不具合部分だけをリプレイスすることで継続利用が可能な仕様ということだ。
PTPには世代があり、Audinate Danteが利用しているPTPv1と、NDI、ST-2110などが利用するPTPv2がある。執筆時点ではMeinbergはPTPv2のみの対応であるが、1年以内のPTPv1対応を目指して開発を進めているとのこと。ちなみにPTPv1はIEEE 1588-2002で定義されたオリジナルの仕様で、PTPv2はIEEE 1588-2008でさらなる精度と堅牢性を求めてブラッシュアップされたものである。残念ながらPTPv2には下位互換性はなく同じPTPという規格ではあるものの相互に互換性はない。
そして、GPSを受信できない環境において、内臓のTCXOもしくはOCXOによる自己ジェネレートが可能となっているのもMeinberg製品の大きな魅力。前述の通り、PTPはGPS信号からの生成を行うことが基本であるため、あくまでもリダンダンシーのための信号回復までの繋ぎの役割として自己生成用のクロックが登載されている製品がほとんどだが、Meinbergでは自己ジェネレートでのPTP信号の利用を前提として設計が行われている。この仕様はスタジオ設計の目線から見ても使いやすい製品と言えるのではないだろうか。まだまだ、スタジオへGPS信号を引き込むのは難しい状況が続いている。自社ビルであればまだしもだが、ビルへ入居している格好であればなおのことだ。
コンパクトなハーフラックサイズの製品から、モジュールによる強力な冗長性を持つ製品まで幅広いラインナップとなるMeinberg製品。マスター、サブなど生放送に対応した場所にはモジュールタイプ、ポストプロなどはハーフラックの製品、といったように選択の幅が広いのも魅力だろう。
全数をドイツ国内の自社工場で組み立てし、1週間のランニングテストの後に出荷するというまさにクリティカルな現場に向けた生産体制。ハーフラックの末っ子にあたるプロダクトでさえ平均故障間隔が60万時間にも及ぶという。IEEE、ITU-R、SMPTEなど業界基準を策定する各団体への参加も行っており、出力信号の確実性もある。そして、ドイツのクラフトマンシップとミッション・クリティカルな現場で鍛え上げられた高い信頼性は、PTPグランドマスターを検討する際の筆頭候補となるだろう。
*ProceedMagazine2024-2025号より転載
Media
2025/01/16
映画音響技術の基礎解説
映画のダビングとテレビにおけるMAは、同じくコンテンツ制作における音声の最終仕上げの段階となるが似て非なるもの。システム的な違いではなく、音響的な部分や視聴環境に求められる事柄の差異となると奥深く、全容を把握するためには整理整頓が必要だ。ここでは映画音響におけるXカーブ、センタースピーカー、ウォールサラウンド、フィルムに対するサウンドトラックといった、様々な特殊要素を技術的な側面から紐解いていきたい。
MA、ダビング、空間の違い
テレビの番組制作のためのMA室、昨今では配信番組など映像に音声を付けて仕上げる幅広い用途で活用されるスタジオだ。ここに求められるファクターは、音の正確性、解像度ということになるだろう。制作されたコンテンツはどのような環境で視聴されるかはわからないため、作品として100点満点の解答はないとも言えるのだが、そんな中でもMA室はリファレンスとなる環境であることが求められる。できる限り正確な音の再生を行うために、周波数特性、音の立ち上がり、強弱の再現、それらを実現するための吸音処理や反射音のコントロールなどを行い、音響設計をしっかりと行った環境を作り上げ、そこで作業を行うこととなる。
それでは、映画音響の仕上げに使われるダビングステージはどうだろうか?映画館での上映を前提に音響の仕上げが行われるダビングステージ。この空間に求められる要素は、どんな映画館で上映されたとしても再現がしっかりと行われるサウンド、ということになるだろう。映画館には上映用の規定があり、音圧に関しては-20dBfs = 85SPLという規定となる。そして、スクリーンの裏に設置されるL,C,R chのスピーカーに対しては、Xカーブと呼ばれる周波数特性に関わるカーブが存在する。ダビングステージはこれらを再現したスタジオであることが求められる。
また、映画館という大空間での再生を前提とするため、大空間での再生の再現というのも重要だ。MA室であれば、遠くても3m程度に設置されるスピーカーが、ダビングステージでは大きな部屋ともなると10mもの距離になる。そして、部屋が広いということは、直接音と間接音とのバランスがニアフィールドとは明らかに違った環境となる。ニアフィールドであれば、直接音が支配的にはなるが、10mも離れたスピーカーでは間接音も含めてその空間のサウンドになることはご想像いただけるだろう。
とはいえ、映画館ごとに間接音の状況は異なる。ダビングステージとしての最適解は、大空間らしいサウンドを保ちつつ、解像度、レスポンス、特性などの担保を行うという、相反した要素をはらむものになる。間接音があるということは、周波数や位相に対しての乱れが必然的に生まれる。リフレクションが加わるということはそういうことだ。ルーム・リバーブ的な要素が含まれると想像いただければイメージしやすいだろうか。その具合の調整がまさに音響設計の腕の見せどころだろう。スピーカーから飛び出したあとの音響建築的な部分での話になるため、機器の電気的な調整だけでは賄いきれないところ。まとめて言い換えれば、この間接音のコントロールがダビングステージのサウンドにおいて重要になるということだ。
Xカーブに合わせた空間調整
小空間で仕込んだ音を、大空間で再生したときに生じる差異。特に高域の特性の変化に関しては100年前にトーキーから光学録音へと映画が進化したころから問題視されている。アカデミーカーブ、Xカーブと言われるものが、まさにそれへ対処するために生み出されたものである。SMPTE ST-202としてその後標準化されるのだが、これらのカーブの求めるところとしては、測定機での周波数特性と聴感上の周波数特性を合わせるということがそのスタート地点にある。
この映画館における音響特性に関する研究は、まさにJBLとDolbyの歴史そのものでもある。再生機器側の性能向上、収録されるマスター音源のテクノロジー、それらの相互に及ぼしあう影響を、これまでの作品の再生とこれから生み出される作品の再生それぞれに対して最適なものとする100年に渡って継続されてきた歴史であり、この部分も興味深いストーリが数多く詰まっている。中でもDolbyの果たす役割は大きく、ノイズリダクションに始まり、フォーマットの進化、マスター音源の進化など、必然性を持って映画のサウンドフォーマットが形作られ継承されている。
スクリーンの透過特性(スクリーンの裏に置かれたスピーカーの高域成分は、サウンドスクリーンだとしても高域減衰が生じる)、低域よりも高域のほうが距離減衰量が大きいことによって、スピーカーから視聴位置が遠いために生じる高域減衰、空間が広いため間接音による干渉などにより生じる高域減衰。様々な要素によりダビングステージの容積に起因する高域減衰というものは、一般的なスタジオと比較しても多く生じる傾向にある。これは、映画館においても同様であり、その再現を求められるダビングステージでも同じように特性の変化が生まれる。
ダビングステージのスイートスポットにおける特性を測れば、当たり前のように高域の減衰した特性が出現する。しかし、これを電気的にフラットにしようとすることは間違いである。なぜなら、直接音に関してはスクリーンの透過特性、距離減衰の影響は受けるものの、ある程度フラットな特性が担保されているためである。反射音、間接音に起因する高域減衰(位相干渉等によるもの)を含めた特性をもとにフラットな特性を狙ってしまうと、結果的に高域が持ち上がった特性を作ることになってしまう。冒頭でも述べたように、大空間における直接音と間接音のバランスに依っており、大空間になればなるほど間接音の比重が大きくなり、高域が下がってくるということである。
お気付きかもしれないが、スイートスポットにおけるフラットな特性を電気的に補正して作ってしまうと、直接音としては高域の持ち上がった特性になるということである。これは、スイートスポットを離れた、特にスクリーンに近い位置での視聴時に顕著となる。直接音が支配的であり、高域の持ち上がったサウンドをダイレクトに聴いてしまうため、視聴体験に大きな影響を及ぼすことになる。
このような高域の持ち上がった特性とならないように、高域をロールオフしたターゲットカーブを設定し、それに合わせた音響調整を行うようにするのが、Xカーブに合わせた調整ということになる。厳密には劇場の座席数に応じたターゲットとなる周波数特性のカーブが設定されており、座席数の少ないものでは高域の減衰量が少なく、多くなれば減衰量が大きくなる、そのようなターゲットとなる特性が提示されている。
これらのターゲットカーブに関しては、ぴったりに周波数特性を合わせ込むということではなく、スピーカー単体としてフラットな特性で出力した際に、スクリーンや部屋などの影響を受けた上でターゲットカーブに収まっているかどうかを確認するところがあくまでもスタートポイントである。言い換えれば、許容誤差の範囲内に収まっているのであれば、それは想定通りの結果であり、それ以上の補正を行う必要はないということでもある。
小空間における映画作品の仕上げに関しては各所ご意見もあるところだろう。大空間における音響再現が行えていないということは確かにあり、それによって再現性が低いというご意見ももっともである。しかし、上記のようにXカーブの成立を紐解いて見ていくと、フラットな特性で作られた音源が空間の大小にかかわらず、ある一定の聴こえ方をするためのターゲットカーブ、とまとめられる。その視点から考えれば、フラットな特性を持ったスタジオで仕上げられた作品であれば、大空間に持っていったとしても一定の基準内での聴こえ方が担保されているので問題ないとも捉えることができる。
ただし、スクリーンの透過特性という物理的なフィルター分に関しては、やはり考慮する必要があると筆者は考えているが、どちらの意見も間違いではないし、ダビングステージといっても数多の映画館すべての再現となるわけではない。完璧な答えを得ることは難しいが、プロフェッショナルの仕事としてどこまでの再現を求めるのかという尺度になるのだろう。そして、これらのことを理解していれば、より良い作品、そしてバランスを作ることができるということでもある。
100年以上の歴史から、映画の音響に関するセオリーはできあがっている。こちらのほうが良いと言っても、一朝一夕に変わることができない過去との互換性や、大空間での平均化された視聴体験に対しての担保など要素を多彩に含んだテクノロジーの結晶体である。だからこそ映画というエンターテイメントのフォーマットは普遍的なものとして歴史を超えて受け継がれ、エンターテイメントの一つの形として存在し続けている。
映画の必須要素、センタースピーカー
次はセンタースピーカーについてを取り上げる。センタースピーカーはITU基準の5.1chにもあるので、それとは何が違うのかということからお話を進めたい。
映画におけるセンタースピーカーは、映画のサウンドトラックが登場した当初から存在する。その当時はモノラル再生環境、センタースピーカー1本からのスタートしたためである。映画館におけるセンタースピーカーが非常に重要であることは、ニアフィールドでのステレオミックスを中心に行っていると、なかなか気が付かないかもしれない。ステレオ作品であれば、センター定位はファントム・センターとして形作られる。しかし、映画館での視聴を想像して欲しい。きっちりとL,Rチャンネルのスピーカーの中心線に座ることができればよいが、1席でも左右にズレてしまうとファントムで作ったセンター定位はズレてしまう。
ハード・スピーカーでのセンターチャンネルがあることで、劇場内どの席からでもスクリーン中央からのセンター定位を感じることができる。これが劇場におけるセンタースピーカーの重要性のほぼすべてと言っても過言ではない。そのため、映画サウンドトラックの進化の歴史は、モノラルの次は3ch(L,C,R ch)、そして初のサラウンドであるアナログ・マトリクス・エンコードを活用したDolby SR(L,C,R + Sround)、そしてDolby Digital (5.1ch)、Dolby Atmosへと進化している。順を追って見ていくと、センターチャンネルを中心に左右へ広がっていったということがおわかりいただけるのではないだろうか。
このようなことから、映画においてセリフの基本はハードセンターである。よほどのことがない限りこのセオリーを外すことはない。画面に二人登場人物がいるので少し左右にパンを振って、ということを思いつくかもしれないが、前述の通りでファントム定位を使用すると劇場に足を運んだユーザーは着席する座席の位置によって定位が変わってしまう。
そうであれば、やはりファントムではなくハードセンターで再生をする。これは、映画における普遍的なものとして受け継がれている。Dolby Atmosになりオブジェクトという新しい技術が採用され、ギミックとして左右の壁面からも点音源として再生を行うということが可能となり、これを活用した作品も見受けられるが、ストーリーテリングを行うダイアログに関しては、やはりハードセンターは外せない。これまでのチャンネルベース・ミキシングの手法を踏襲したうえで、オブジェクト・ミックスがあるというDolbyの判断は正しいと感じている。劇場での再生を念頭においたミックスだからこその要素となるわけだ。
皆さんは、そのセンターチャンネルがどこに設置されているかご存知だろうか。スクリーンの裏にあるため通常は目にすることのないスピーカーではあるが、その名の通りスクリーンのちょうど中心に設置されている。高さ方向としては、スピーカーの音響軸を高さ方向に3等分した上端から1/3の位置というのが設置基準である。高さ方向に関しては素直にスクリーンの中央とイメージしてしまうところかもしれない。なぜ1/3になったのかという理由を解説している文献を探すことはできなかったのだが、すべての客席に対して音を届けるために高さが必要であったとか、サラウンドスピーカーとの高さを揃えようと考えるとこれくらいがちょうどいいなど様々な推測がある。
ちなみにではあるが、サラウンドスピーカーはスクリーンバックのL,C,Rchと音響軸的に平面に収まるように設置されている。壁面のサラウンドスピーカーの並びをそのまま伸ばしたあたりに、スクリーンバックのスピーカーの音響軸があるということだ。逆に言えば、壁面のサラウンドスピーカーの設置位置は、スクリーンサイズによって上下するということでもある。スクリーンが大きければ音響軸は高くなり、サラウンドスピーカーアレイの設置位置も高くなるということだ。
ウォール・サラウンド
もうひとつ、ITU 5.1chとの大きな違いがサラウンドチャンネルに関してだ。ITUでは点音源での再生となるサラウンドチャンネルが、シネマフォーマットではウォール・サラウンドアレイと呼ばれる壁面に設置された複数のスピーカーで再生されることとなる。デフューズ・サラウンドとも呼ばれるこのシステムは、やはり劇場でどの座席であっても一定のサラウンド感を感じられるように、という意図のもとにその設置が考えられている。
しかし、面で再生されるこのサラウンドチャンネルは定位感のある再生には不向きであり、Dolby Digitalまでの作品ではもっぱら環境音や音楽のリバーブなどの再生に活用されていた。もちろん、これは空間を囲むという意味では大きな効果があり、没入感を高めるための仕組みとしては大きな成功を収めている。Dolby Digital以前のSRではマトリクス・エンコードの特性上、正面に対して位相差を持ったサウンドしか配置をすることができず、まさに音を後方にこぼすといったことしかできなかったが、Dolby Digitalになりようやくチャンネルがディスクリートとなり、イメージした音がそこに入れられるようになったという技術的な進化も大きい。
さらに、Dolby Atmosではオブジェクトが使用できるようになり、点音源としてのサラウンド・チャンネルの活用が可能となった。この進化は大きく、ウォールで再生するベッドチャンネルと点音源で再生するオブジェクト・チャンネルを使い分けることで、音による画面外の表現が幅広く行えるようになった。スタジオ設計側としては、サラウンドも全チャンネルフラットにフルレンジの再生を求められることとなり、サラウンドスピーカーの選定において従来とは異なるノウハウが求められるようにもなってきている。再生環境として求められるスペックが増えるということは、逆説的には再生できる表現の可能性が広がったということでもある。これは進化であり大いに歓迎すべきポイントである。
フィルムに対するサウンドトラック
これらの映画音響の歴史は、まさにサウンドトラックの進化の歴史そのものでもあり、互換性が考えられながら新しいものへと連なっている。フィルムを上映して映像だけを楽しむサイレント映画から、それにレコードを同時に再生することで音を付け加えるという試みへと進化するが、まったく同期がとられていないため、当時は雰囲気として音楽を流す程度といったことが主流だったそうだ。
また、当時は活動写真弁士と呼ばれる映画に対して解説を加える解説者がいた。少し脱線するが、活動弁士という文化は日本独自のもの。海外ではテキストで状況説明を加えることで、映像同士に連続性をもたせることでレコードでの音楽再生のみというものが主流だった。しかし、日本では映画以前より人形浄瑠璃における太夫と三味線や、歌舞伎における出語りなど、口頭で場面の解説を加える、今風に言えば解説ナレーションの文化があった。もちろん、落語に代表される話芸の文化が盛んだったこともこのバックボーンにはあったのだろう。当初は、幕間の場繋ぎとしての解説者だったものが、上映中にもそれを盛り上げるための語り部となり、独自の進化を遂げたというのは興味深いところである。
フィルムで上映される映像と音声の記録されたレコードなどの媒体を同期するということは当時の技術では難しく、いくつものテクノロジーが発明されては消えていくということを繰り返していた。フィルム上にサウンドトラックを焼き付けるというサウンド・オン・フィルム。具体的には、光学録音された音声トラックを映像フィルムに焼き付けるという手法により技術革新を迎えるのだが、光学録音自体の特許登録がなされた1907年から、ハリウッドメジャーが共通フォーマットとして互換性を持ったサウンド・オン・フィルム技術を採用する1927年までに、なんと20年もの歳月がかかっている。その間、レコード等の録音媒体を使用した同期再生のチャレンジも続けられたが、確固たる実績となる技術へとは発展しなかった。サウンド・オン・フィルムの光学録音技術は、映画がデジタル化されDCP(Digital Cinema Package)でのデータ上映になるまでのフィルム上映では普通に使われ続けていくこととなる。
無音のサイレント映画に対してトーキー映画と言われる、映画に音をつけるという技術は瞬く間に普及することになる。1927年にハリウッドで採用されたということは前述の通りだが、その移行は早く、ハリウッドで制作された最後のサイレント映画が1929年ということからも、たったの2年間で時代の主流を奪っている。日本国内は活動弁士という独自の文化があったため、1938年になっても国内制作の1/3の映画はサイレントのままであったということだ。活動弁士の職を奪うということもあるが、贔屓の活動弁士による上映を見るため(聴くため)に劇場に足を運ぶということもあったということだ。今となっては想像することしかできないが、日本における最初期の映画とは人形浄瑠璃などの視覚的なエンターテイメントがフィルムになったという感覚だったのではないだろうか。
トーキー映画が黎明期を迎えてからのサウンドトラックの歴史は、まさに光学録音の歴史と言える。光学録音とは今日DAWなどで表示される波形をフィルムに焼き付けるというものだ。非常に細いスリットに光を当ててその記録を行うというのがその始まりだ。
光の強弱はまさに音の強弱であり、電気信号に変換された音声の強弱を光としてフィルム上に記録するということになる。しかし、ノイズや周りへのこぼれ(光なので屈折や解析などで周辺に溢れてしまう)、高域再生不足、様々な問題に直面し、それを乗り越えるノイズリダクションや、多チャンネル化の技術となっていく。光学録音に対して大きくは、ノイズの低減と高域再生特性の改善がそのテーマとして、様々な方式が出現しては消えていくということを繰り返す。それと並行して磁気記録技術が確立され、映像フィルムに磁気を塗布し、そこにサウンドトラックを収録するということも行われた。これは1950年代頃から70年代にかけてであり、Cinerama、Cinema Scopeといったものがその代表である。フロント3ch、サラウンド1chという仕様が一般的であった。
Dolby Atmosへの道筋
このような様々な技術や規格が乱立する中で、業界の標準となり今でも活躍をしているのがDolbyである。ノイズリダクション技術が世界的に認められ、映画の光学録音の収録などでも活用されていたDolby。1976年に開発されたDolby Stereoはマトリクス・エンコードを活用した2chのサウンドトラックでフロント3ch、サラウンド1ch仕様の4chの再生を可能とする技術として瞬く間に世界の標準フォーマットとなる。少しややこしいのだが、Dolby Stereoは2ch音声の技術ではなく、マトリクス・エンコードされた4chサラウンドの技術である。2trの音声トラックの収録であったことからStereoと名乗ったのだろうが、今となっては少し誤解を招く名称である。
このDolby Stereoを世界中が注目するようになるきっかけとなった作品は「スター・ウォーズ エピソード 4 / 新たなる希望」である。このDolby Stereoの特徴となるのが、エンコードされた2chの音声トラックは、そのまま2chステレオで再生しても違和感なく聴くことができるという点。後方互換性を備えたフォーマットであったということは特筆すべきところだ。しかし、そのマトリクス・エンコードの特性から、サラウンドチャンネルに低域成分を加えることはできず、ディレイ処理もエンコード時に加わるため輪郭のあるはっきりとした音をサラウンドに配置することができなかった。とはいえ、このDolby StereoはDolby SR(Spectral Recording)として音響特性を改善させ、多くの映画館で採用されたまさに80年代の業界標準とも言えるフォーマットである。
アナログ時代の真打ちであるDolby Stereoの次の世代は、フィルムにデジタルデータを焼き付けることでその再生を行ったDolby Digitalの登場を待つこととなる。1992年に登場したDolby Digitalは圧縮された5.1chのディスクリート音声をフィルムに焼き付けつけるフォーマットである。しかも、Dolby Stereoの光学2trの音声トラックはそのままに、追加でのデータの焼き込みを可能としている。図版を見ると、パーフォレーションの隙間にQRコードのような図形データとして符号化されたものが書き込まれている。これを読み込み、5.1chの音声を取り出すフォーマットである。
Dolby Stereoの上映館でもDolby Digital上映館でも同一のフィルムで上映できるため、フィルム上映における標準フォーマットとして今日に至るまで標準フォーマットとして採用が続いている。映画館の5.1ch再生のスクリーンは、そのすべてがこのDolby Digitalでの上映と思って差し支えない。もちろん、1990年代にはそれに対抗するフォーマットとして非圧縮の5.1chで高音質を特徴としたDTS、大型スクリーン向けにフロントのチャンネル数を5chとした7.1chサラウンドのSDDS(Sony Dynamic Digital Sound)があった。残念ながら、DTSもSDDSも映画館向けのフォーマットとしては生き残ることができなかった。DTSに関しては、DTS-Xとしてイマーシブを引っ提げて再び映画館に戻ってくる動きもあるのでここは要チェックである。
2000年代半ばに、ネットやコンピューター技術の進化に合わせて映画館での上映が物理的なフィルムから、DCP(Digital Cinema Package)と呼ばれるデータでの上映に切り替わった。現在でも少ないとはいえフィルムでの上映を行っている劇場もあり、やはりフィルムの需要がゼロになったわけではなくDolby Digitalでの制作を行うことが今でも続けられているのだが、DCPであればフィルム上にサウンドトラックを記録するといった物理的な制約もなくなり、ほぼすべてがデータでの上映になっていると言っていい状況だ。
そして、DCPになったからこそ生まれたのが、データ容量が大きいDolby Atmosというフォーマットである。Blu-rayや配信ではDolby True-HDと呼ばれる技術により圧縮が行われているが、映画におけるDolby Atmos Cinemaは、Rendererで収録された最大128chのデータがそのまま収録され、Dolbyのフォーマットとしては初となる非圧縮での劇場上映を実現している。
まだまだ、歴史を紐解くと他のファクターも存在する映画音響に関する様々な特殊要素。ここではその代表とも言えるXカーブ、センタースピーカー、ウォールサラウンド、フィルムに対するサウンドトラックに触れたが、それらすべては大空間において座席に着席して視聴しているすべてのユーザーへより良い音響を届けるために考えられたものであるということを忘れてはならない。
スイートスポットでの視聴はあくまでも制作においての判断を行う場所であり、そこを離れても意図した音響設計が一定以上で再現できる環境構築のために100年の歳月が掛けられたノウハウである。映画の制作に携わることがなければなかなか足を踏み入れることのないダビングステージや映画の音響制作。そこでの考え方や、ノウハウは興味深いものが数多くある。今回の解説が映画音響以外でもサウンドに関わる方にとって何らかの刺激となれば幸いである。
*ProceedMagazine2024-2025号より転載
Support
2025/01/11
DADman 5.8.0.8リリース 〜MTRX II用に新機能が追加〜
Pro Tools MTRX II / MTRX Studioのドライバーでありモニターセクションを司るDADmanの最新バージョンv5.8.0.8がリリースされています。
MTRX II用の新機能「Control | Pack」
手動コマンドもしくは入力信号をトリガーとしたオートスイッチングによりMTRX IIのルーティングを切り替える新機能「Control | Pack」が追加されました。
最大256の入力ソースを256の出力へとマッピングするルーティング・プリセットを4レイヤー設定することができ、マニュアル操作もしくはMTRXのInputでの信号検出によりレイヤー切り替えが可能。さらにその設定を32セットまで作成できます。レイヤーの切り替えは1オーディオサンプル内に収まるため、これまで以上に安定かつ柔軟なシステム構成が可能となるでしょう。
機能を有効にするとDADman UI上にルーティング・プリセット・ウィンドウが追加されます。ここでボタンでのレイヤー切り替えやレイヤーに設定されたトリガー信号のステータス確認、ソースとして使用している全チャンネルを対象としたリアルタイムPPMメーターが表示されます。
Control|Packの設定は上のようなRouting Presetsウィンドウで行います。
設定は大きく以下の4ステップとなっています。
1. 設定する MTRX II ユニットの選択
2. ルーティングプリセットの追加
3. トリガーによるオートメーションの設定
4. 入出力チャンネルの選択
画面の見方として、Source Set 1~4 が各レイヤーを意味し、それぞれのトリガー、入出力チャンネル設定が縦割りで並んでいるのがわかるでしょうか。
トリガーの優先順位も設定でき、それぞれトリガーソースも最大4つまで設定が可能。トリガーとしてはMTRX IIの全入力チャンネルに実装されている信号検出部が活用される。もちろんトリガーに指定された入力も通常使用可能です。
MOM-BASEを用いたモニタープロファイル切り替えにも似ていますが、MOMが1台のMTRX IIのみの操作に対して、各ユニットに設定が保存されるControl|Packはおり多くのMTRX IIをDADmanで管理できます。
・Signal Generators
MTRX IIに搭載されていた2種類のジェネレーター機能が解禁。
正弦波パイロットトーン・ジェネレーターは、信号レベル-60dB~0dBFS、周波数は20Hz~20kHzの範囲で設定できる。
もう1つのAE6信号用ジェネレーターは、16進数値0xAE6のバイナリ反復信号を送出。
これらは内部マトリクスのソースとして使用でき、任意の出力へルーティングが可能となっている。
Control | Pack機能のより詳しい内容は、MTRX II Guide, Chapter 9をご参照ください。
またその他のバグフィックス等についてはv5.8.0.8リリースノートをご参照ください。
Control | Pack 機能の利用には、以下のDADmanソフトウェア及びMTRX IIファームウェアが必要です
・DADMan v5.8.0.8 (Mac/Win)
・MTRX II Firmware 1.1.0.3
現代スタジオシステムの中核を為すMTRX IIがさらに強化となりました。TB3モジュールによりいまやHDXシステムの枠組みさえ飛び出してあらゆるシステムを可能にするMTRX IIを使いこなしましょう!システム構築のご相談はROCK ON PROまで!
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2025/01/09
劇伴制作のシゴト 東映音楽出版株式会社 本谷氏に訊く
映画の音を構成する要素は大きくDialogue(台詞)、Music(音楽)、Effect(効果音)の3つに分類される。それぞれの要素を録音技師、作曲家や音楽プロデューサー、効果音によるサウンドデザインを行う音響効果、フォーリーといったプロフェッショナルが担当し、1本の映画における音を作り上げる。今回はなかでも劇伴制作に焦点を当て、映画音楽をはじめとした劇伴制作を手がける東映音楽出版株式会社のエンジニア、本谷侑紀氏に制作の流れについて解説いただいた。劇伴制作という仕事はどういったものかという基本的な部分から、劇伴という音楽ならではの制作ポイント、近年の潮流といった内容について制作ワークフローとともにいま一度紐解いていこう。
1:制作依頼
劇伴制作とひとくちに言っても任される範囲は現場によって様々だ。レコーディングエンジニアとしてのみ参加する場合もあれば、音楽プロデューサーとして方向性を決める段階からダビングまで一貫して制作に関わるケースもある。どの段階から制作に参加するか、というのは基本的に音楽制作の枠組みが決まったタイミングで制作が依頼される。というのも、エンジニアとしての依頼は作曲家からの指名で決まることが多い。本谷氏の場合、東映音楽出版に所属する制作エンジニアとして自社作品か外部作品なのかでも関わり方は変化してくるという。社内外で制作・エンジニアとして依頼がある場合や、自社作品の場合は制作依頼を出す立場に回ることもあるそうだ。
また、既成曲(劇中曲)の有無も制作工程に影響してくる。既成曲が無い作品の場合は、現場に作曲家とともに出向くこともあるが、本格的に始動するのは撮影が終わり、オールラッシュ(映像編集において尺やカットが確定した段階)の後からとなる。シーンの尺が決まっていないことには場面に合わせて作曲することもできない。ただし、現場によってはメインテーマなど一部を編集前に制作し、監督が編集を行う際のイメージを手助けするものとして使用されることもある。
一方で既成曲が多い場合、例えばライブシーンがある作品などではプレスコ(プレスコアリング:先に制作されたセリフや音楽に合わせての撮影)となるため、プロジェクトの脚本段階などと並行して音楽が発注され、プレスコ用に編集された上で撮影時に使用される。ここでの制作はあくまでプレスコ用の音源であり、そこからライブシーンでの歓声などが足されるなどの再編集が行われ実際に使用する音源となるのだ。劇中曲の場合は歌モノも多く、そういった場合は劇伴チームとは別の制作チームが立てられることが多い。
2:劇伴プランの設計
オールラッシュが終わりシーンの尺が決定した段階で、「線引き」と呼ばれる打ち合わせに入る。作曲家、監督やプロデューサーといった制作陣とともにどのシーンに音楽を使用するかを決めていく作業だ。この段階で全体の曲数と、曲調の明暗や盛り上げるポイントといったおおまかな曲の方向性を設計していく。監督が編集段階で音楽を入れたい箇所に仮の楽曲を挿入しているケースもあるとのことだ。映画1本のうち劇伴の占める割合については、もちろん作品にもよるが2時間の実写ドラマの場合大体40~50分尺、曲数にして20~25曲あたりが平均だという。
3:作曲
作品に必要な音楽が決まったところで、作曲家による作曲期間に突入する。期間にして約1〜2ヶ月ほど、その中で数曲ずつを監督・制作陣と確認しながらデモを完成させていく。楽曲チェックは少ない映画でも2~3回は繰り返される。作曲に取り掛かる順番は、まずメインテーマとなる曲を作り、次にそのアレンジバージョンを数パターン、その後作品の時系列順に制作していかれることが多いそうだ。作曲期間もエンジニア的な観点からストリングスの最適なサイズや、生録音かシンセ音源かといった音色の提案・判断などを行っていく。
4:レコーディング
作曲の工程が完了すると、譜面作成を経てレコーディングにとりかかる。譜面作成は、作曲家が書いた楽譜の清書やパート譜の作成を行う専門職である写譜屋の仕事だ。劇伴のレコーディングは読者もイメージされている通り、ストリングス、ブラス、木管が多い。数日というレコーディング日程で数十曲にわたる楽曲を録り終えるためにも、とにかくスムーズな進行が肝となる。
ここで本谷氏が実際に行なっているレコーディングのテクニックを紹介する。それは2種類の異なる色合いのマイクを立てておくというもの。5.1chや7.1chサラウンド用のオフマイクセットが基本となるのだが、そこにLRをもう2本追加することによってミックス時にLR+サラウンドワイドなど組み合わせの選択肢が広がる。オンマイクに関してもスタジオ定番のNeumann U 67やU 87に加えて最近はリボンマイク Samar Audio Design VL37をよく使うとのこと。限られたレコーディング時間の中でもミックス時の可能性を確保し、より作品に合致した楽曲を仕上げるための工夫だ。また万が一メインのRECが不調だった時のための保険の意味もあるという。
使用するスタジオは予算、編成のサイズ、響きを出したいか抑えたいか、といった観点から作曲家と相談して決めていく。少ない人数でよく響かせたいならあのスタジオ、8型が入るのはこのスタジオといったように様々なスタジオの特徴を把握していることがもちろん前提となる。
コラム 弦の編成の表し方
「6型」や「8型」とは何でしょうか?これは弦楽器の編成を表す際に使われる用語です。ストリングスの基本構成は1st Violin、2nd Violin、Viola、Cello、Contrabassの5パート。型の数字は1st Violinの人数を表し、そこからパートの音域が低くなるごとに2人(1プルトとも言う)ずつ減らしていくのが基本のパターンです。例えば8型だと以下のとおり。
1st Violin:8人(4プルト) / 2nd Violin:6人(3プルト) / Viola:4人(2プルト) / Cello:4人(2プルト) / Contrabass:2人(1プルト)
これを別の言い方としてパート順に「86442」と呼ぶこともあります。他にも「弦カル」はカルテット(Violin 2人、Viola 1人、Cello 1人)「ダブカル」はダブルカルテット(カルテットの倍の編成)の意味。さらに、大規模なオーケストラでは木・金管、打楽器を含めた1管、2管という編成も存在します。別のジャンルではドラム、ギター、ベース、キーボードの編成を4リズムと言ったりもしますよね。これらは必要なスタジオの広さの指標として使われる用語でもあります。
5:トラックダウン
レコーディングが終了するとすぐにミックス、トラックダウン(TD)の作業がスタートする。録音素材のノイズリダクションに始まり、EQ、コンプといったミキシングからサラウンドパンニングまで音楽ステムの仕込みを行う工程だ。通常の音楽ミックスと大きく異なるのが、ダイアログやエフェクトが入ることを見越しての音楽ミックスになるということ。本谷氏は、セリフが入り音楽のレベルが下がる場合も想定してリアを活かすといったアプローチを行うこともあるという。また、センターチャンネルのダイアログとどう音楽を共存させるかについては、ハードセンター、ファントムセンター、その中間といったミックスのパターンを持っておき、演出や作家の意図に合わせてどう使い分けるかを考えていくとのことだ。
また、ダイアログや効果のエンジニアから制作したステムを共有してもらい、それらのレベルに合わせたミックスを施すことも近年はあるという。劇伴は作曲、レコーディングの工程を経る以上、ダイアログや効果よりも作業が後ろになるため、他の2部門が先に仕込みを終えていることが多くなる。逆にレコーディングデータを参考として共有することもあるという。ダビング前にデータを共有しあうことでより精度の高い仕込み作業が可能になる。完成したデータは自身でダビング作業まで担う場合と、選曲(ミュージックエディター)にステムを受け渡しダビング作業に持ち込まれる場合に分かれる。
6:ダビング
各部門がそれぞれ制作した素材がダビングステージに持ち込まれ、制作の最終的なミックスが行われる。期間として約12日ほどの日程の作業工程を一例として挙げよう。
映画はフィルム時代の慣習から20分弱を1ロールとして本編を区切り、ロールごとにダビングを行うという手順が今でも残っている。前半の仕込み日では実際に各素材が組み合わさってダビングされる際のレベル感を確認し、各自修正作業を行っていく。システムやマシンスペックの向上によりダビングでもマルチトラックのセッションデータをある程度そのまま持ち込めるようになったため、ここで修正が発生した際でもすぐに対応できるようレコーディングの別素材などとスムーズな切り替えが行えるセッションとして下準備を行い臨んでいる。ダビングが完了するとプリントマスターが作成され、晴れて映画の完成だ。
7:近年の劇伴制作の潮流
本谷氏によるとまずここ数年の流れとして、ダビングステージ含めスタジオにAvid S6が普及したことにより仕込みとの差異が少なく作業に入ることが可能になったことが大きいそうだ。エンジニアの多くがS6に慣れ始めて作業効率も上がり、Neve DFCのころと比べてミックスセッションからのスムーズな移行と高い再現性が保たれていることが作業における大きな変化となった。
もうひとつがDolby Atmosの登場だ。ポップスの音楽がApple Musicの対応により国内では映画に先行してAtmos化している傾向は、サラウンドが音楽では広まらなかった今までとは違う現象と捉えており、同じく音楽を扱う劇伴エンジニアも音楽エンジニアとノウハウを共有していければという。
また、Dolby Atmosからダウンミックスして作成した5.1chは、初めから5.1chで制作した音源とは同じチャンネル数でも異なる定位やダイナミクス感が得られるため、新たな発見があることも気に入っているポイントだそう。今後、日本映画界においてDolby Atmosが普及するためには、Dolby Atmos Cinemaに対応したスタジオや劇場が増えること、Dolby Atmos= 制作費が高いという業界のイメージが変わることが鍵となると感じられている。本谷氏は早速Dolby Atmosでの制作にも挑戦されている。
📷東映音楽出版が構えるポスプロスタジオ、Studio”Room”。VoやGtを中心としたレコーディング環境と劇伴制作のTD環境を併せ持つフレキシブルなスタジオだ。今年6月に改修が行われ、7.1.4chのDolby Atmos Homeに対応となった。リアサラウンドにはADAM Audio S2V、ハイトには同じくADAM AudioのA7Xを採用。既存の配線も有効活用し、特注のSP設置金具によって既存のスタジオ環境の中にハイトスピーカーが増設された。モニターコントローラーはGRACE design m908を使用。サラウンドのころから導入していたm908のDante接続により、Dolby Atmos化という回線数の増加にも難なく対応することができた。
日本で劇伴制作に携わるエンジニアの数は増えているとお聞きした。また今回触れることができた職種の他にも、多くのプロフェッショナルが日本映画の音を支えている。映画音響の世界は、新しいテクノロジーの登場とそれを取り入れるスタジオや教育の現場によって、技術はもちろん業界の風習も含めて日々発展しているのだ。そのような中で様々なことに取り組み、もっとできることがあることを皆で知っていきたいという本谷氏の姿勢が強く印象に残っている。
東映音楽出版株式会社
本谷 侑紀 氏
84年生まれ。2005年、東映音楽出版・南麻布スタジオルーム入社。2009年「おと・な・り」(監督・熊澤尚人、音楽・安川午朗)で映画劇伴を初担当。以降は主に映画・ドラマの劇伴にレコーディングエンジニア、ポスプロのミュージックエディターとして携わる。近年の主な作品(Rec,Mix&MusicEditorとして参加)に、『シャイロックの子供たち』(本木克英監督、音楽・安川午朗)、『ある閉ざされた雪の山荘で』(飯塚健監督、音楽・海田庄吾)、『リボルバー・リリー(行定勲監督、音楽・半野喜弘)』、『11人の賊軍(白石和彌監督、音楽・松隈ケンタ)』がある。
*ProceedMagazine2024-2025号より転載
Education
2025/01/02
音響芸術専門学校様 / 未来への入口となるイマーシブ・システム教室
1973年に、国内では初となる音響制作技術の専門教育機関として開校した音響芸術専門学校。この夏、同校教室に満を持してイマーシブ・システムが導入されたということで、早速取材に伺った。応じてくれたのは同校学校長・理事長の見上 陽一郎 氏。イマーシブ・サラウンドの要であるスピーカーの選定や、教育機関ならではのテクノロジーに対する視点など、これからイマーシブ・システムを教室へ導入するにあたっては大いに参考となるだろう。
シンプルかつ充実したシステム
今回、音響芸術専門学校が導入したのは7.1.4ch構成のイマーシブ・サラウンド・システム。学内の教室のひとつを専用の部屋にしたもので、教室の中央前方寄りの位置にトラスとスタンドを使用して組まれている。教室の隅に12Uの機器ラックが置かれており、システムとしてはこれがすべてというコンパクトさだ。機器ラックにはPro ToolsがインストールされたMac Studioのほか、BDプレイヤー、AVアンプ、そしてオーディオI/FとしてMTRX Studioが収められている。MTRX StudioにはThunderbolt 3オプションモジュールが追加されており、Mac StudioとはHDXではなくThunderboltで接続されている。そのため、HDXカードをマウントするための外部シャーシも不要となっている。
MTRX II、およびMTRX Studioに使用することができるThunderbolt 3モジュールの登場は、オーディオ・システム設計における柔軟性を飛躍させたと感じる。MTRXシリーズがHDXカードなしでMacと直接つながるということは、単にオーディオ I/Oの選択肢を広げるということに留まらず、256ch Dante、64ch MADIなどの接続性や、スピーカーマネジメント機能であるSPQをNative環境に提供するということになる。さらに、1台のMTRXに2台のMac(+HDX)を接続できるため、DADmanの持つ巨大なルーティング・マトリクスを活用した大規模なシステム構築をシンプルに実現することも可能だ。そして、こうした拡張の方向とは逆にNative環境でDADmanを使用できるということは、MacとMTRXだけで外部機器とのルーティングやモニターセクションまでを含めたオーディオ・システム全体を完成させることができるということを意味する。音響芸術専門学校のようにシステムを最小化することもまた、Thunderbolt 3モジュールの登場によって可能となるということだ。
スピーカーに選ばれたのはEVE Audioで、2Wayニアフィールド・モニタースピーカーSC205とサブウーファーTS108の組み合わせ。ハイト4本はStage Evolutionの組み立て式パイプトラスにIsoAcousticsのマウンターを介して、平面サラウンド7本はUltimate Supportのスピーカースタンドを使用して設置されており、部屋の内装に手を加えることなくイマーシブ・システムを導入している。
📷イマーシブ・システムの組み上げで課題となるのはハイトの設置をどう行うかだろう。今回の組み上げでは照明用の製品を数多くリリースするStage Evolutionのトラスを使用した。コストパフォーマンスに秀でているだけでなく、堅牢な作りでスピーカーを支えており、ここにIsoAcousticsのマウンターを使用してハイトスピーカーを設置となっている。このように内装工事を行うこともなく簡便にイマーシブ環境を構築できるのは大きな魅力だろう。
国内初となるEVE Audioによるイマーシブ構築
EVE Audioによるイマーシブ・システムの構築は国内ではこれが初の事例となる。今回の導入に先立ち、音響芸術専門学校では10機種におよぶスピーカーの試聴会を実施しており、並み居るライバル機を押さえてこのEVE Audioが採用された格好だ。試聴会には同校の教員の中から、レコーディング・エンジニア、ディレクター、バンドマン、映像エディターなど、様々なバックグラウンドを持つ方々が参加し、多角的な視点でスピーカーを選定している。
試聴したすべての機種に対して、帯域ごとのバランス、反応の早さ、 全体的な印象などを数値化した採点を各教員がおこなったところ、このSC205ともう1機種の点数が目立って高かったという。「試聴会の段階ではまったく予備知識なしで聴かせてもらって、評価の高かった2機種の価格を調べたら、もう1機種とSC205には価格差がだいぶありました。SC205は随分コスパよくない?という話になり、こちらに決まったという感じです」とのことで、必然的に数多くのスピーカーを揃える必要があるイマーシブ・システムにおいては、クオリティの高さだけでなく費用とのバランスも重要であることが改めてわかる。SC205の音については「すごくバランスがよくて、ハイもよく伸びているし低音のレスポンスもすごくクイック。そして、音量が大きめの時と小さめの時であまりバランス感が変わらないところが気に入った」とのことで、 こうした特性も多数のスピーカーを使用するイマーシブ環境において大きな強みと言える。
そのEVE Audioは、リボンツイーターの実力をプロオーディオ業界に知らしめたADAM Audioの創立者でもあるRoland Stenz 氏が2011年に新たにベルリンで立ち上げたメーカー。ADAM Audioと同じくAir Motion Transformer(AMT)方式のリボンツイーターが特徴的だ。一般にリボンツイーターはドームツイーターと比べて軽量のため反応が早く、高域の再生にアドバンテージがある一方で、軽量であるがゆえに能率においてはドームツイーターに劣ると言われている。
これを解決しようとしたのがAMT方式で、この方式ではリボンが蛇腹状に折りたたまれており、折り目に対して垂直方向に電流が流れるように設計されている。すると、蛇腹のヒダを形成する向かい合った面には必ず逆方向の電流が流れるため、ローレンツ力(フレミングの左手の法則で表される電磁場中で運動する荷電粒子が受ける力)によってヒダは互いに寄ったり離れたりを繰り返す。この動きによって各ヒダの間の空気を押し出す形となり、従来のリボンツイーターと比べて約4倍の能率を得ることができるとされている。
また、EVE Audioは当初からDSPによるデジタル・コントロールをフィーチャーした野心的なブランドでもある。再生する帯域に対する適切なユニットのサイズ設計が難しいとされるリボンツイーターを採用しているEVE Audioにとって、クロスオーバーを精密にコントロールできるデジタル回路の搭載はまさに鬼に金棒と言えるだろう。アナログ的な歪みがそのブランドの味だと捉えることもできるが、スピーカー自体が信号に味をつけるべきではないというのがEVE Audioのコンセプトだということだ。
導入の経緯と今後の展望
2021年にApple MusicがDolby Atmosに対応したことをきっかけに、音楽だけでなくあらゆる分野で国内のイマーシブ制作への関心は年々高まっていると感じる。今回の音響芸術専門学校のイマーシブ・システム導入も、そうした流れを受けてのものかと考えていたのだが、専門学校と最新テクノロジーとの関係というのはそれほど単純なものではないようだ。
📷学校法人東京芸術学園 音響芸術専門学校 理事長/学校長 見上 陽一郎 氏
「最先端のものを追いかけても、それが5年後、10年後にはもう最先端ではなくなるし、なくなってしまっているかも知れない。2年間という限られた時間の中で、何がコアで何が枝葉かということは見極めていかないといけません。」と見上氏が言うとおり、軽々に流行りを追いかけてしまうと、学生が身につけなければならなかったはずの技術をないがしろにしてしまう結果になりかねない。専門学校と四年制大学のもっとも大きな違いは、専門学校が実際の現場で活用できる技術の教授をその主な目的としている点にある。それぞれの校風によって違いはあるものの、専門学校と比較すると、大学という場所は研究、つまり知的探求にかなりの比重を置いている場合がほとんどである。学生の卒業後の進路を見ても、大学で音響研究に携わった学生はオーディオ・エンジニアにはならずにそのまま研究職に就くことも多く、制作現場に就職する割合は専門学校卒業生の方がはるかに高いのだという。
極論すれば、大学ではステレオ制作を経験させることなくいきなりイマーシブ・オーディオに取り組ませることも可能であり、将来的にはそうした最新技術をみずから開発できるような人材の育成を目指しているのに対して、制作現場でプロフェッショナルなエンジニアとして活躍できる人材の育成が目的である専門学校にとっては、イマーシブ制作よりも基本となるモノラルやステレオでの制作技術を2年間で身につけさせるということの方が絶対的な命題ということになる。
そうした中で、同校がイマーシブ・システムの導入に踏み切ったきっかけのひとつは、実際に現場で制作をおこなうことになる専門学校生が在学中にイマーシブ制作に取り組むべき時期が来たと感じたからだという。「私はJASのコンクール(RecST:学生の制作する音楽録音作品コンテスト)の審査員や一般社団法人AES日本支部の代表理事を務めているのですが、そのどちらの活動においても、今は大学や大学院に在籍している方々が出してくる作品で2チャンネルのものというのは非常に少くて、大半がイマーシブ・オーディオ系なんです。ただし、 学生時代にそういったマルチチャンネル再生の作品を一生懸命作った大学生や大学院生の大半が、レコーディングエンジニアやMAエンジニアの道へ進まず、実際にその作品づくりをするエンジニアになるのは当校の卒業生など専門学校出身者が中心です。そこで、これからこういう分野リードしていくためには、やはり私たちの学校でもこうしたシステムを導入して、イマーシブ・オーディオ作品を専門学校生が生み出していくようにしないといけないよね、ということをこの2、3年じわじわと感じていたんです。」
導入されたばかりのイマーシブ・システムの今後の運用については、大きく分けてふたつのことを念頭に置いているという。ひとつは、すべての学生にイマーシブ・サラウンドという技術が存在することを知ってもらい、その技術的概要に関する知識を身につけ、実際の音を体験させるということ。「こういうシステムを組むときにはどういう規格に基づいて組まれているのかとか、どんな機材構成になっているのかとか。どのようなソフトを使って、どういう手順で作品が作られているのか。ここまでは全学生を対象に授業でやろうと考えています。つまり、卒業後に現場で出会った時に、イマーシブ・オーディオの世界というのが自分にとって未知のものではなくて、授業でやりました、そこから出てくる音も聴いています、というような状態で学生を世に送り出そうということです。これが一番ベーシックな部分で、全学生が対象ですね。」
もうひとつは、特に意欲の高い学生に対してカリキュラムの枠を超えた体験を提供すること。同校は27名のAES学生会員を擁しており、これは日本の学生会員の中では圧倒的に人数が多い。彼らはAESやRecSTを通して同年代の大学生たちのイマーシブ作品から大いに刺激を受けているようで、卒業制作で早速このシステムを使いたいという学生もいるという。そうした学生の意欲に応えるということも、今回の導入の理由になっているようだ。「2年生の夏ごろになると、2chなら大体ひと通りのことはできる状態になっています。そうした学生たちはこのシステムもすんなり理解できますね。もう、目がキラキラですよ、早く使わせろって言って(笑)。」
ちなみに、機器ラックの上にはPlayStation 4が置かれているのだが、 学校としてはこのシステムを使用してゲームで遊ぶことも奨励しているという。「語弊があるかも知れませんが、ここは学生に遊び場を提供しているようなつもり。作品づくりでもゲームでも、遊びを通してとにかくまずは体験することが重要だと考えています。」とのことだ。実際に学生はゲームをプレイすることを通じてもイマーシブ・オーディオの可能性を体験しているようで、ここでFPSをプレイした教員がとてつもなく良いスコアを出したと学内で話題になったそうだ。見上氏は「そうした話はすぐに学生の中で広まります。そうやって、興味を持つ学生がどんどん増えてくれたらいい」と言って微笑んでいた。
NYやロンドンへの出張の際は、滞在日数よりも多い公演を見るほどのミュージカル好きという見上氏だが、海外の公演で音がフロントからしか鳴らないような作品はもうほとんどないのだという。それに比べると国内のイマーシブ制作はまだまだこれからと言える。その意味で、将来、制作に携わる若者たちが気軽にイマーシブを経験できる場所ができたことは確かな一歩である。「このくらいの規模、このくらいのコストで、こういうところで学生たちが遊べて作品を作って...これが当たり前って感じる環境になってくるんだったらそれで十分ですよね」と見上氏も言うように、イマーシブ・オーディオ・システム導入に対する気持ちの部分でのハードルが少しでも下がってくれればよいと感じている。
*ProceedMagazine2024-2025号より転載
NEWS
2024/12/27
SONNETから新型M4 MacMini対応マウント製品が発表
音響業界のみならず数多くのマシンルームにてApple Macと共に採用実績を誇る米カリフォルニア州のSonnet Techから、今年11月に発売された新型Mac Miniに対応した製品群の発売が発表されました。
RackMac mini (2024+)
RackMac mini (2024+)は、2Uのラックスペースに最大3台のMac Miniが収納可能な奥行き5 1/2インチ(13.97 cm)のラックマウントエンクロージャー。底面に電源ボタンがある設計の新型Mac Miniに対応し、フロントパネルから電源の投入が可能な機構を搭載。また各Macの下には、ThunderboltまたはUSB SSDを接続・収納できるスペースも用意されている。
DuoModo Mac mini Module(2024+)
DuoModo Mac mini Module(2024+)は、1~2台のMac Miniと共にEcho IIIや Echo II DVといったPCIeカードボックスが収納できる製品。Echo II DVを使用すれば、2台のMac Miniに別々のPCIeカードをマウントしての運用も可能になる。
MacCuff mini(2024+)
MacCuff mini (2024+)はMac Miniをデスクやテーブルの下、壁、モニタの背面(VESAマウント対応)に固定することができるマウント。デスク周りの省スペースを実現しながら、コンピュータの前面と背面のポートや電源ボタンにフルアクセスできる。南京錠を使用するための機構も搭載し、店頭での使用などにも有用なマウントだ。こちらは小規模スタジオやホームスタジオにうってつけの製品だろう。
発売時期は未定だが、2025年を予定しているとのこと。Apple Siliconの高性能化が進み、Mac Miniでも十分な性能を発揮できる場面が増えた昨今において、構築の助けとなる製品であることは間違いない。お求めの方、見積もり依頼はROCK ON PROまでお問い合わせいただきたい。
Review
2024/12/26
Waves新プラグイン『Immersive Wrapper』紹介レビュー!
Wavesより新プラグインImmersive Wrapperがリリースされました!こちらは全てのWavesモノラルプラグインを9.1.6chまでのイマーシブフォーマットに対応させてしまう革新的ツール。メーカー各社がイマーシブ対応プラグインを発表している最中、Wavesはマルチチャンネル・トラックの全チャンネルでモノ・プラグインを動作させる「マルチモノ」構成を用いることによって、自社の世界標準プラグイン群をそのままDolby Atmosミキシングに対応させる画期的手法を実現しました。
実際にアトモスミックスに携わられている方はオブジェクト用のグループを作成しトータルでコンプなどを使用する場面も多いでしょう。そういったイマーシブミックスのリアルなフローにも対応するグローバル・グループやサイドチェイン機能も備えた本製品は、Wavesがイマーシブミックスにおいても標準プラグインとして活躍する決定打となるのではないでしょうか。
ここからはイマーシブを推進する弊社スタッフ、バウンス清水による使用レビューをお届けします!
Waves / Immersive Wrapperレビュー by バウンス清水
こんにちは。RockoNパラダイス 今シブ店店長のバウンス清水と申します。
普段からImmersive Audio制作に力を入れており、Dolby Atmosのミックス、マスタリングを副業として行ったりもしております。
この度、Wavesから Immersive Audio制作のキラーアイテムが出たとのことなので、実際にDEMOしてみました。実際の使用感をレビューしていきます。
1.マルチチャンネルトラックにインサートして使用する方法
まずわかりやすいのがこの形だと思います。9.1.6chや7.1.4chのマスターを作ってミックスする人は多いと思いますが、そのトラックにインサートしてどんなWavesのプラグインもマスター処理で使用できるようになるということです!
そしてFront,Surround,Topsなどグルームに分けて設定を変更したりもできるのでSSLのBusCompをインサートして、Frontだけがっつりコンプをかけて、Topsはほぼかからないようにするなど自在です。さらにChを自分でカスタムして選択することも可能なので、L,C,R,Ltf,Rtfにまとめてコンプをかけて処理するなどフロント全面に対して処理したいなどもOK。もちろんEQもReverbもインサートできます。
H Reverbをインサートして、FrontはERだけ、SurroundはER/Tailまぜて、TopsはTailのみというような設定にするとFrontから来た音が手前に来て、上に抜けていくというようなReverbが作れてGoodでした!
2.オブジェクトトラックをまとめて処理する方法
私自身ほとんどオブジェクトでミックスしているので、9.1.6などのマスター処理ができるという部分にはそこまで興味をそそらなかったのですが、Immersive Wrapperはそれだけではない!”Global Group”という機能があり、処理をしたいオブジェクトトラックに全てImmersive Wrapperをインサートして、同一のグループにするとそれがまとめて処理できるようになります。SideChainに対応したDynamicsプラグインをインサートするとどのソースを入力ソースにするか決めることができるので、Kickを目立たせるために他のトラックをまとめてSideChainでキックをトリガーにCompをかけたり、、(これは実際にやってみましたがすごくよかったです。)
いままでフルオブジェクトでやっていて、課題と感じていた部分、Master処理での音作りをしているようなStereo曲に勝つためのサウンドメイクがImmersive Wrapperを使うとできそうな予感がひしひしします!
3.裏技?!Front,Surround,Topsに違うプラグインをインサート
マルチチャンネルトラックにインサートし使用して思ったことがあります。Front,Surround,Topsに違うプラグインをインサートしたいなと。Immersive Wrapperは仕様的に選択できるプラグインはひとつです。ただそれをやっているYoutubeの動画を見た気が、、と色々探っていると、、、
判明しました!!
SCHEPS OMNI CHANNELやCLA MixHubのようにプラグイン内にインサートポイントがあるプラグインを使用して、その中のインサートをそれぞれ変えることによって、FrontにMIX CENTRIC、SurroundにIDX、TopsにMM REVERBをインサートする。ということができました。これは激アツ!!!
ということでWaves のImmersive Wrapper。ガチで欲しいプラグインでした!
SCHEPS OMNI CHANNELなど、アイディア次第でとんでもないことができるアイテムに化けるモンスタープラグインではないかと震えております。
以上、バウンス清水でした!!
Waves / Immersive Wrapper
¥43,780(税込)
>>Rock oN eStoreで購入!
イマーシブ・プロセッシングの可能性をぐんと広げる製品の登場です。イマーシブ制作ツールやDolby Atmos環境の構築はROCK ON PROまでご相談ください。
レビューを担当したバウンス清水が構えるRock oN 新eStoreの特設コーナー「ROCK ON PARADISE 今シブ店」ではイマーシブオーディオの制作に役立つさまざまな情報を発信中!こちらも要チェックです!
Education
2024/12/26
立命館大学 映像学部 大阪いばらきキャンパス 様 / 驚きの規模感で整備された日本唯一の映像学部
2024年4月、大阪いばらきキャンパスへ移転した立命館大学映像学部。その移転は学部が入る建物から教室に至るまですべてが新設となるビッグプロジェクトとなった。映像学科のコンセプトに沿うように構成された最新機材の導入のうち、ROCK ON PROでお手伝いさせていただいた「映画芸術」ゾーンの施設を中心にご紹介していきたい。
最新のキャンパスへ移転
関西を代表する私立大学である立命館大学。その歴史は古く、1900年の京都法政学校を創設年として124年の歴史を持つ国内でも有数の歴史ある大学である。「立命」の名は、孟子の「尽心章句」の一節である「殀寿(ようじゅ)貳(たが)わず、身を修めて以て之れを俟(ま)つは、命を立つる所以(ゆえん)なり」に由来する。「自由と清新」の建学の精神と「平和と民主主義」の教学理念に基づき、精力的に最新学問分野を修める学部を設置している大学である。この精神は学祖である西園寺公望の国際的な感覚、新しいものへの柔軟な対応、そういったポリシーが受け継がれているのではないだろうか。
今回の移設先である立命館大学大阪いばらきキャンパスは衣笠、草津に次ぐ最新のキャンパスで2015年に開講した真新しいキャンパスである。JR京都線と近畿道に囲まれた立地となるため、移動中に目にしている方も多いのではないだろうか。ちなみに、このキャパス用地の前身はサッポロビール大阪工場である。こちらのほうが馴染みのある方もいるかも知れない。このキャンパスに作られたH棟へは今回ご紹介する映像学部と、情報理工学部が移転している。
日本唯一の総合大学における映像学部
📷Dolby Atmos Cinemaの認証を受けたシアター教室の入口。誇らしげにロゴが掲げられている。音響施工は日本音響エンジニアリング、シネコン等の施工実績のあるヒビノスペーステックがシステム工事を行っている。
ここへ移転した映像学部は、2007年に京都衣笠キャンパスで開講した、立命館大学にとって比較的新しい学部。現在の16学部の中で7番目に新しい学部となるそうだが、その2007年以降にも新設学部が数々あるということからも積極的に新しい学問分野を切り拓こうという立命館大学の姿勢がうかがえる。
映像学部(特に映画芸術ゾーン)は、衣笠キャンパスの直近にある太秦の松竹撮影所との産学連携での活動を行ってきたが、前述の通り2024年4月に大阪いばらきキャンパスに新しく建設されたH棟へと移転を行った。スタジオなどの設備も新規のキャンパスで完全新規での設計が行われ、移転におけるテクノロジー・ターゲットであるイマーシブ・オーディオへの対応を実現している。
芸術分野の学部の中に学科として映像の分野が設置されていることはあるが、こちらは学部として総合的に映像分野をカバーする国内でも稀有な存在。芸術系大学以外では唯一となる映像系の学部であり、単純に映像学部ということで括れば日本唯一となる学部である。また、芸術系の大学ではなく総合大学に設置されているということで、専門性の高い技術者を養成するというだけではなく、映像作品をクリエイトしプロデュースする、という内容の学習を行う学科であるということもその特色のひとつ。
映像学部にはその中に特定の学科が設置されているわけではなく、「映画芸術」「ゲーム・エンターテインメント」「クリエイティブ・テクノロジー」「映像マネジメント」「社会映像」の5つからなる学びのゾーンが展開されている。ゾーンと言うとわかりにくいかもしれないが、具体的には各分野の特色ある講義を選択し、3,4年時のゼミ選択で各分野に特化した学習を行うということになっている。実習授業では実際の映像作品制作を行うことを中心に、幅広い映像分野のテクノロジーに触れ、作品を作るための素養を学ぶということになる。本格的なプロの現場の機材に触れ、それを使用した制作を実習として体験する。どうしたら作品を作ることができるのか、作品を作るためには何をしなければならないのか、ということを総合的に学習しイノベーションあるクリエイターを輩出している。
設置されているゾーンを見ると映像に関連する幅広い分野が網羅されていることがわかる。今回お話を伺った「映画芸術」だけでも、プロデュース、監督、撮影、照明、脚本、演出、音響と7つの分野に特化した実習授業が設置されているということだ。実写からCG、ゲーム、VRに至るまで映像を使った表現すべてを学ぶことができる。そして、それらをプロデューサー目線で学ぶことができるというのが映像学部の最大の特長であろう。
1年時には、実習授業で短編作品を制作し、一つ一つの機材の使い方やその役目を学びながら手探りで作品創りというものに向きあう。その際にも教員は、何を伝えたいのか?何を表現したいのか?という全体像を学生自身が考えた上で、制作をサポートしているということだ。また、「映画芸術」のゼミを受講する学生は、卒業制作として1本の映像作品制作が必修となる。芸術系の大学であればその作品自体が卒業制作となるが、映像学部では作った映像作品に対して自身の学んできた分野に依った解説論文を書き、教授陣の口頭試問を受けるということだ。作品を作るということはあくまでも結果であり、それまでのプロセス、工夫、課題や成果などを考察することで全体を俯瞰した視点を学んでいく。まさにプロデューサー的な視野を持つということを目的としていることがよく分かるカリキュラムである。
立命館大学 映像学部
松蔭 信彦 教授
1961年 大阪生まれ。日本映画・テレビ録音協会会員。
1981年 フリーの録音助手として東映京都テレビプロダクションで、『銭形平次』 (主演大川橋蔵)、『桃太郎侍』(主演高橋英樹)など TV 時代劇を中心に従事した 後、映画『夢千代日記』『吉原炎上』『華の乱』など助手で参加し、1991年『真夏 の少年』で映画録音技師デビュー。以後、映画・TV ドラマ等で活動する。 主な作品歴は『魔界転生』、『男たちの大和 / YAMATO』、『憑神』、『利休にた ずねよ』、『海難 1890』、『エリカ 38』(整音担当)、『名も無い日』(整音担当) など、二度の日本アカデミー賞最優秀録音賞受賞、二度の日本アカデミー賞優秀録音 賞受賞。現在、立命館大学映像学部で後進の育成にも尽力している。
教室、MA、Foley、シアター、驚きの規模感
それでは、大阪いばらきキャンパスの映像作品に対する音響制作のための学習設備を列挙して紹介していきたい。5.1chのサラウンドを備えたMA1、Dolby Atmosの設備を持つMA2、そしてそれぞれのMA室に対応したSound Design Room1(5.1ch)、2(Dolby Atmos)。MA1,2には共有のアナウンスブースが設置されている。さらに、ADRとFoleyがある。ADRとFoleyはL,C,Rの3chのモニター環境が備わっており、収録で使用されていない際には仕込み作業を行える環境としても考えられている。さらに、基礎的な機器の操作を学んだり、ヘッドホンでの仕込み作業に使用される音響編集実習室がある。映像編集など総合的な確認用の設備として、Dolby Atmos Cinemaの視聴が可能なシアター教室。スクリーンでのグレーディングを実現するスクリーニングルームは、小規模な試聴室としての機能も持ち、こちらもDolby Atmos Homeの視聴環境を備えている。映像編集に関しては、8つの編集室と実習用のPCが並んだ教室とCGやデジタルアーカイブ用の実習室が2室あるという充実の環境。
このように、ざっと挙げただけでもその充実ぶりはおわかりいただけるだろう、これでも本誌執筆時点では「ゲーム・エンターテインメント」「映像マネージメント」のゾーンが衣笠キャンパスにまだ残っており、衣笠キャンパスと松竹スタジオをサテライトとして運用されているということ、驚きの規模感である。映像学部の1学年の定員は、2024年度から240名。前年までは160名だったということなので、大阪いばらきキャンパス移転で設備が増強されたことで1.5倍に増員されたということになる。
実習室
📷各デスクにiMacが設置され、Audio I/FにSSL2+、HPアンプ、スピーカーが準備された音響編集実習室。Pro Toolsがインストールされ、ここでDAWの操作方法などの実習授業が行われる。空いている時間には自由に使うことができるため、作品の仕込み作業などを行う生徒も多いということだ。
📷左)こちらは映像編集実習室となる。Avid Media Composer、Adobe Premier、Blackmagic Design DavinciがインストールされたWindowsでの実習が行われる。NLEを使った様々な作業を充実のスペックの環境で学ぶことができるこの実習室、さすがに各席にMaster Monitorは設置されていないが、プレビュー用にEIZOのColorEdgeシリーズが採用されている。中)シンプルにPCディスプレイが並んでいるこの部屋はCG編集実習室。WindowsベースでCG制作の実習が行われる部屋だ。完成した作品を書き出すレンダリング作業を行うために、別途サーバールームにレンダリングファームが準備されている。右)音響編集実習室を学生側から見るとこのような具合だ。DAWでの作業を行うための十分な環境が整えられていることがわかる。
履修争奪戦?人気講座を生む設備
それぞれの設備の内容に触れていこう。まずは、1~2回生の実習で主に利用されるMA1。5.1CHのサラウンド・モニター環境を備えたダビング規模の部屋となる。必修授業でも使うということで多くの生徒が着席できるようになっているこの部屋は、3台のAvid Pro Toolsが導入されている。「映画芸術」ということで映画のダビングを模したシステムアップが行われており、ダイアログ、効果音それぞれの再生用Pro Toolsとダビング用のレコーダーPro Toolsの3台体制である。このシステムにより、映画ダビングで何が行われているのか、どのようなワークフローで作業が行われているのかを実習の中で体験することができるようになっている。
サラウンドシステムに関しては、ウォール・サラウンドではなくシングル・スピーカーによるものだが、実際のウォールサラウンドでの視聴を体験するためにシアター教室が存在しているので、MA室ではそこまでの設備は導入していないということだ。ただし、以前の衣笠キャンパスでは試聴室に唯一の5.1chシステムがあるのみであったことからすると、大きくその環境は進化したと言えるだろう。実際のところ、後述するMA2でのDolby Atmos視聴の体験とともに学生のモチベーションも上がり、今期3回生のゼミ課題の作品では5本の5.1ch作品が制作された。
MA1
📷MA1と呼ばれる5.1chサラウンドの部屋がこちら。32fader仕様のAvid S6が導入され、Dialog、SE、Dubber3台のPro Toolsによるダビング作業の再現が行えるシステムが組まれている。それぞれのPro ToolsにはAvid MTRXがI/Oとして採用されており、最新のシステムが構築されている。スピーカーはGenelecの8461が特注で作られたスタンドに置かれている。さすがにL,C,Rchすべてをスクリーンバックに設置するのは無理があったため、センタースピーカーのみスクリーンバックへの設置となっている。教室ということもありスクリーン脇には演台がある。この写真後方には授業の際に学生が座るベンチシートが置かれている。
📷左)このMA1に対応した仕込み部屋がこちらのSound Design 1。スピーカーにはGenelecの8431、コンソールはAvid S4というこちらも充実の仕様だ。MA1との使い勝手含めた互換性を考えて作られた仕込み用の部屋となる。右)MA1に導入された32fader仕様のAvid S6。
そして、3~4回生の音響実習の講義室としても活用されているMA2。こちらは今回導入にあたってのコンセプトであるイマーシブ・サウンドを実践するために、Dolby Atmos Home準拠の設備を持ったMA室だ。衣笠キャンパス時代の音響実習は定員を満たさないこともあったそうだが、やはりDolby Atmosでの視聴体験という新しいMA2室の魅力の成せるところで、大阪いばらきキャンパスに移転した途端に倍率1.5倍となる人気講座になったそうだ。ちなみに、実習講座を受講することでその設備の使い方を学べば、その後は自由に空き時間でそれらの部屋を使うことができるようになるということ。この仕組みは設備利用のライセンス制だと教えていただいたが、1.5倍という高倍率はこの利用ライセンスを獲得するための履修争奪戦という様相を密かに現しているのかもしれない。
MA2には3台のPro Toolsが設置されている。それぞれの役割はMA1と同様にダイアログ、効果音、ダビングであるが、こちらではさらにDolby Atmosを学ぶためにHT-RMUが導入されている。単独で準備されたHT-RMUはHome対応のものではあるが、Cinemaであったとしてもシグナルのルーティングなどに差異はなく、ワークフローも同一であり、映画のダビングのシステムを理解するための設備としては十分なものである。
これらのMA室に対応した仕込み部屋となるのがSound Design 1と2。Sound Design1はMA1に対応している5.1chの仕込み部屋。Sound Design 2はMA2に対応したDolby Atmos視聴が可能となる部屋である。それぞれPro Toolsは1台が設置された環境となっている。学生に開放されたこのようなサラウンド対応の仕込み設備があるということ自体が珍しいなか、Dolby Atmos環境の部屋までが提供されているのは本当に贅沢な環境である。
MA2
📷Dolby Atmos Homeに対応した7.1.4chの再生環境を備えたMA2。スピーカーはGenelec 8441が採用されている。すべて同一型番のスピーカーということでつながりの良いサラウンド再生環境が実現されている。スクリーンは150インチと大型のものが導入され、「映画芸術」ゾーンとして映画を強く意識した設備であることがわかる。なお、L,C,Rchのスピーカーはしっかりとこのスクリーンの裏に設置された「映画」仕様である。コンソールはAvid S6 24Fader、この導入により他の部屋と共通した操作性を持たせることに成功している。もちろん、このAvid S6とDolby Atmosの制作環境の親和性に関しては疑いの余地はない。MA1と同様のDialog、SE、Dubberの3台に加え、HT-RMUも導入された4台体制でのシステムアップとなっている。
📷左)MA2に対応したSound Design 2がこちら。こちらもGenelec 8431による7.1.4chの設備である。Avid S4との組み合わせで高い互換性を確保した仕込みの設備となっている。Dolby Atmosのレンダラーに関しては、Pro ToolsのInternal RendererもしくはStand alone Rendererによる作業となっている。右)こちらのMA2に導入されたのはAvid S6 24Faderだ。
📷左)MA1、MA2の間に設置されているアナウンスブース。横並びで2名が座れるスペースが確保されている。カーテンが開けられている方がMA2、閉まっている右側の窓の向こうがMA1である。収録用のマイクプリにはGrace m108が準備され、マイクはNeumann U87Ai が常備されている。Avid S6のコンソール上からもリモートコントロールできるようにセットアップされている。右)MA1,2共用のマシンルーム。左右対称に左側にMA1の機材、右にMA2の機材が設置されている。KVMとしてはIHSEが採用されており、MA1,2すべてのPCがKVM Matrixに接続されている。PCに関してはMacProとMacStudioが導入されている。
それでは、ここからは立命館大学 映像学部の充実したファシリティをブロックごとにご紹介していこう。
Foley
📷L,C,Rchのモニターが置かれたFoleyのコントロールルーム。この部屋もGenelec 8431が採用されている。Avid S4が設置されており、仕込み部屋としての使い勝手も考えられた仕様となっている。マイクプリにはGraceのm108が各部屋共通の機材として導入され、Avid S4からのリモートコントロールを可能としている。Foley Stageも充実の設備で、水場から足音を収録するための数々の種類の床が準備されている。部屋自体の広さもあり、国内でも有数の規模のFoley Stageとなっている。そして何と言っても天井が高いので、抜けの良い音が収録できそうな空間である。またこの写真の奥にある倉庫には多種多様な小物などが収納されている。Foleyに使われる小物の数々はそのFoley Stageの歴史でもあり、今後どのような小物が集まって収められていくのか数年後にも覗いてみたいところである。
ADR
📷こちらもL,C,RchにGenelec 8431が置かれたADR。ブース側は十分な広さがあり、4人並びでのアニメスタイルの収録にも対応できるキャパシティーを持っている。天井も高いのでマイクブームを振っての収録も可能だろう。アフレコ、音楽収録どちらにも対応のできる広い空間である。この部屋だけが唯一Avid S1の設置された部屋となる。収録用のマイクはNeumann TLM103、KM184,Audiotechnica AT4040といった定番が揃っている。
サーバールーム / レンダリングファーム
📷今後の拡張を考えた余裕のあるスペースにサーバールーム、兼レンダリングファームが置かれている。実習用のファイルサーバーとしてAvid Nexisが導入されMAルームなど3~4年生が卒業制作を行う部屋のPCが接続されている。PCがずらりと並んだ実習室はその台数があまりにも多いため接続は見送っているということだ。デスクトップPCが棚にずらりと並んでいるのがレンダリングファームである。処理負荷の大きいレンダリング作業をPCの並列化による分散処理を行うことで効率的に完成作品を作ることができる。このような集中して処理を行う仕組みを導入することで、教室の個々のPCのスペックを抑えることができるスマートな導入手法だと感じるところだ。
映像編集室
📷卒業制作などの映像編集を行うための部屋がこちら。SONYのMaster Monitorが置かれたしっかりとした編集室になっている。PCにインストールされているソフトは実習室と同じくAvid Media Composer、Adobe Premier、Blackmagic Design Davinciとのこと。この設備を備えた映像編集室が8部屋も用意されている。この規模感は大規模なポスプロ並みである。それでも卒業制作の追い込み時期になるとこれらの設備は争奪戦になりぎっしりとスケジュールが埋まってしまうということだ。学年あたりで240名も在籍しているのだからこれでも足りないくらいということなのだろう。
Theater
📷約280席のスタジアム状に座席が並んだ大教室がこちらのシアター教室。写真を見ていただいてもわかるようにただの大教室ではなく、Dolby Atmos Cinemaの上映が可能な部屋である。BARCOのシネマプロジェクターとDCPプレイヤーにより映画館と遜色ないクオリティーでの上映が可能である。オーディオもDolby CP950が導入されたDolby Atmos認証の劇場となっている。スピーカーはJBL、パワーアンプはCROWN DCiシリーズ、プロセッサーはBSS BLUと昨今のシネコンなどでの定番の組み合わせである。通常の授業で大教室としての利用や、学生の作品の視聴など様々な用途に活用されているとのこと。将来的にはこの教室にコンソールを接続してダビングとして活用できないかという壮大なアイデアもあるということだ。そうなったら国内最大のダビングステージの誕生である。ぜひとも実現してもらいたい構想だ。
Screening Room
📷30席程度の座席を持つScreening Room。メインの用途としてはカラーグレーディングのための設備だが、そこにDolby Atmos Homeの再生環境が導入されている。これは試写室としての活用も考えられた結果であり、映像はもちろんだがオーディオも充実した視聴環境が構築されている。ウォール・サラウンド仕様の7.1.4chの配置で、JBLのシネマスピーカーが設置されている。フロントのL,C,Rchはもちろんスクリーンバックにシネマスピーカーの採用である。プロジェクターにはDCP Playerも登載され、試写を行う気満々のシステムアップとなっている。
お話を伺った、映画サウンドデザインを専門とする松陰 信彦 教授は、長年映画の録音技師として活躍をされてきた方。研究室にお邪魔したところ、博物館クラスのNAGRAやSONYのポータブル・レコーダー(その当時は持ち運べること自体に価値があった!)が完動状態で置かれていた。映画録音に対する深い造詣、そしてそれを次世代へと伝える熱い思い。学生には「今しかできないこと、社会人になったらできないかもしれないことを、この環境で学び実践して欲しい」という思いを持っているということ。大学であるからこそ、その設備と時間を大いに活用して取り組めることも多いし、それを実現できる環境を整えていきたいとのことだ。機材面はもちろんのこと、技術サポートやノウハウの共有などで私たちも連携し、その想いを支えていければ幸いである。
*ProceedMagazine2024-2025号より転載
NEWS
2024/12/18
ROCK ON PRO 年末年始休業期間のご案内
平素は格別のご高配を賜り誠にありがとうございます。
大変恐縮ではございますが、下記期間を年末年始の休業期間とさせていただきます。
お客様にはご不便をおかけしますが、何卒ご了承のほどお願い申し上げます。
◎ROCK ON PRO 渋谷・梅田事業所 年末年始休業期間
2024年12月28日(土)〜2025年1月5日(日)
なお、新年は1月6日(月)からの営業となります。
新年もより一層のお引き立てのほど、宜しくお願い申し上げます。