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ROCK ON PRO
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Sony Pictures Entertainment / 360VME、次のオーディオの100年を変えるブレイクスルー
映画の都、ハリウッド。100年以上に渡り映画の産業そのもの、そして数々の名作で彩られる歴史を集積してきたわけだが、そこからほど近いカルバー・シティに広大な敷地を誇るスタジオを構えているのがSony Pictures Entertainment (以下、SPE)だ。SPEのコンテンツ制作の中心ともなるこの地は、映画作品の世界観をひとつまとめた街のようであり、この中に往年の映画俳優の名を冠したダビングステージ「Cary Grant」「William Holden」「Kim Novak」「Anthony Quinn」ほか、多様な用途のサウンドスタジオが立ち並ぶ。そして、従来の映画音響制作をブレイクスルーさせる技術、「360 Virtual Mixing Environment」(以下、360VME)がサウンドエンジニアによってブラッシュアップされてきたのもこのスタジオである。今回はSPEのサウンド部門の一員として担当したスティーブ・ティックナー氏とアボ・マーディキアン氏に、開発から携わってきたという360VMEについてインプレッションを伺うことができた。
Rock oN(以下、R):本日はお時間をいただきありがとうございます。数々の名作が生まれたこの場所に来られてとても光栄です。360VMEという技術が、SPEのオーディオ制作でどのように使われているのかをお伺いしていきます。
SPE(以下、S):基本的にはフィルム用・撮影スタジオの音声の編集に使用しています。そもそものスタートから振り返っていきますが、360VMEは2019年にSony(日本)の開発チームによるプロトタイプができあがりました。当時からスタジオに充実した最先端のスピーカーシステムがあったので、確かにこのテクノロジーはすごいけど、いまあえてヘッドホンで制作する必要ってあるのかな、とちょっと懐疑的でした。
2020年になるとCOVID-19が発生しました。突然、スタッフ全員が自宅から出ることができなくなり、自宅でもある程度環境を整えてポストプロダクション作業を行う必要が出てきました。ヘッドホンはあるだろうか?制作に必要なソフトはあるだろうか?まるでゴールドラッシュのように情報が行き交って、どんなアイデアでもいいから共有しようという状況でした。その中でプロトタイプではあったものの360VMEが活躍するようになります。
ちなみにですが、当初プロトタイプの360VMEにはレベルメーターがありませんでした。もちろん自宅での作業にもアウトプットののクオリティは変わらずに求められますので、オーディオのパフォーマンスを確認する手段は必要です。いまわれわれがいるこのダビングステージでは背後から聴こえてくる音をきちんと音響として耳で判断できますが、それでも、ただサウンドを聴くだけではなく立体的にそれが奥にあるのか、横にあるのか、それとも天井にあるのかメーターでも確認します。まして、実際のスピーカーがない自宅での作業においてはメーターが果たす役割の重要性はさらに増します。こうした経緯で日本の開発チームと協力しあって360VMEにレベルメーターが備えられることになったのです。
R:COVID-19のタイミングであっても制作を少しでも前進させようとしていたということですね。
S:ほかにも、センターのサウンドをどう改善するか、どんなヘッドホンが良いのか、そのドライバーの適切なサイズはどれくらいかなど、いろいろな話題が出てきましたが、とにかく重要だったのは、この360VMEというテクノロジーが必要な時に、必要な場所にあってくれたということです。私たちはみな自宅で仕事を進めなければなりませんでしたから。
そしてCOVID-19を経たいまの世の中で、360VMEは新たなワークフローを提供してくれるようになりました。リモートでのミックスチェックです。もはや、世界の反対側に監督やプロデューサーがいたとしても大丈夫です。PCを立ち上げて、VMEアプリを起動したら、360VMEがそのスタジオの音場を再現してくれます。そしてミックスをチェックしてレビューするといった一連の流れが世界中のどこにいてもできてしまいます。また、日本でも360VMEサービスが始まっていまですが、各々固有の360VMEデータをスタジオで測定しておけば、さらにそれぞれのスタジオごとのサウンドの再現クオリティは高まります。360VMEの音場再現性には驚かされましたよ、本当に素晴らしい大きなステップでした。
R:360VMEはSPEのスタジオをリファレンスに実証実験が行われたんですよね。
S:そのとおりです。ただし、SPEには17ものダビングステージがあるんです。大きさも全部違いますし、どの部屋も異なった個性をそれぞれ持っています。私は35年間このスタジオで働いていて、これらの部屋の設計にも携わってきましたし、もちろん数多くのエンジニアたちと制作をともにしてきました。現実の世界で多くの選択肢があるように、それぞれの部屋にキャラクターがあって、特徴があるんです。それをそれぞれに再現することが360VMEに求められてくるのですが、例えばこのダビングステージを360VMEで再現した時はルームアコースティックがとても近くて、ぜひ持ち帰りたい!音響が本当によくシミュレートされていている!と驚きました。
R:なるほど、それでは開発陣に対してクオリティを高めるアイデアや意見交換というものはどのように行われたのでしょうか。
S:Sonyの日本の開発エンジニアたちとはまるで昔からの友達のような良いコミュニケーションが取れました。生産的で前向きなアイデアが次々と生まれ、バージョンを重ねるごとにEQのブラッシュアップや、RT-60(60dB減衰するまでの残響時間)のエンベロープやリリース・タイム、ディケイ・タイムを操作するデリバーブの機能など、たくさんのフィードバックが実現されてきたんですが、その中でも先ほど触れた測定に基いたルームアコースティックのシミュレーションはとても重要なポイントとなりました。スピーカーで囲まれている各々のスタジオで測定を行って、部屋が持つインパルス応答と個人が持つ耳のインパルス応答から空間を360VMEがシミュレートするわけですが、その360VMEプロファイルをかけた途端、いまは小さな空間にいるはずなのに、測定した時の大きな空間の音がするという驚きの体験が起きるんです。本当にニューヨークや東京にいても同じように感じることができますよ。やがては、もっと手軽なコンシューマー向けの製品でも実現されると個人的には嬉しいです。いま行っている測定というのもスイープ音を30秒ほど聴くだけですから、未来のオーディオショップに行くとスキャンができて、360VMEのヘッドホンかイヤホンかを耳にかけると、そのヘッドホンに突然魔法がかかってしまうという…作品の作り手側もそんな世界を期待してしまいます。
R:それは楽しいですよね!では、SPEでは何名くらいがご自身のプロファイルをお持ちなのでしょうか。
S:サウンドエンジニアはほぼ全員じゃないでしょうか。編集スタッフやクリエイティブチームもいるのですが、サウンドエンジニアは全員プロファイルをつくりましたよ。すべての部屋で測定を行ったので、それはもう何度も何度も行いました(笑)。ただ、このスタジオ以外の施設でもあればいいなという環境はまだまだあるんですよね、。。50フィート(約15m)のスクリーンを誰の家にでも置けるわけではありませんが、オーディオの世界では360VMEがその空間を実によく、実に見事に表現してくれる。これは画期的なことです。このようにフレキシブルな対応が360VMEで行えるようになることは、私たちのポストプロダクションの助けになって環境の柔軟性を与えてくれる。これはプロフェッショナルなレベルでは本当に重要なことなんです。空間再現を行うツールは360VME以外にもあり、それらも試すことがあるのですが、平均値で再現を行うのではなく何にも代えられない個人の耳、内耳の状況まで測定することは再現の精度を大きく分けることになります。

📷MDR-MV1と360VME アプリ。立体音響スタジオの音場をヘッドホンで高精度に再現する360 Virtual Mixing Environment(360VME)は、スタジオで測定を行いプロファイルを作成、360VMEアプリを介してヘッドホンでその環境を再現し、どこへでも持ち運べる。
R:なるほど、スタジオの数だけ何度も測定されたわけですが、その人のコンディションや体調でプロファイルの結果は変わるものなのでしょうか。
S:測定マイクのフィッティングが正しければ、ほとんどの人の耳は一定の状況にあってある程度安定しています。どちらかというと変化しているのは部屋の状況かもしれません。スタジオやダビングステージ、映画館などは常にシステムをメンテナンスしています。特定のスピーカーやEQのバランスが悪ければ、B-Chainも正しくありませんから、スキャンしているその空間がスペック通りに正しくあることが大切です。また、これらのスタジオは定期的にアップグレードもしています。例えば、このダビングステージは5年前まで2wayのスピーカーで構成されたシステムでしたが、いまでは4wayスピーカーに変更しています。
R:確かに測定される環境との同期も重要ですね。
S:オーディオの世界に新たなブレイクスルーが起きるたびにすべてが変わります。ハリウッドでオーディオ最高峰の映画館はアカデミー賞の授賞式が行われるDolby Theatreですが、常に最良の結果を求めてアップグレードされています。ここでスピーカーが4wayになれば、それにならって4wayスピーカーを採用する流れが始まるというような、アメリカ国内の映画館にとってリファレンスとなるような存在です。ここで採用されたテクノロジーは各劇場で用いられ、それがやがて家庭へと広がっていきます。
立体音響もその一例で、誰もが手軽に立体音響を再現できる家庭用のスピーカーシステムを待ち望んでいる状況です。ところが、そのスピーカーシステムもアパートでは盛大に鳴らすことはできませんよね。ただ、そのアパートに住む人でもヘッドホンでサウンドを聴くのは問題ありません。ここにプロフェッショナルがいるスタジオで開発された真の体験を提供することができれば、コンシューマーの分野でも人々を感動で満たすことができるかもしれません。映画の音響は見ている側が自然に聴こえているようであっても、そのサウンドはひとつひとつ丁寧に創られています。その場の環境を超えて、自分がどこにいるのかを忘れさせるような体験、そう、私たちの仕事は体験を創りだそうとしているんです。360VMEはそんな仕事のための素晴らしいツールです。
R:ありがとうございます。作品にかける情熱が非常によく伝わりました。最後になりますが、今度は日本にもぜひお越しください!
S:そうですね!実は2回ほどチャンスがあったんですが、制作の途中で1週間おやすみとはいかなくって(笑)。
R:本日はありがとうございました!
ハリウッドの現場でもエポックメイキングな出来事となっていた360VME。COVID-19の影響で図らずももその有用性が実証されてきたわけだが、インタビューではこの360VMEが映画音響や制作といったプロフェッショナルのみならず、その先のコンシューマーレベルへどのような形で採り入れられていくのかまで深く考察されていたのが印象的であった。ハリウッドが紡いできた100年以上の歴史、そしてこの360VMEがその新たなブレイクスルーとなる資格を十分に有していること。この先100年の始まりを実感せずにはいられない訪問となった。
*ProceedMagazine2025号より転載
*記事中に掲載されている情報は2025年11月10日時点のものです。





