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Virtual Circuitry Modeling技術によるオーディオエフェクトの開発 ~ADD-ON EFFECTシリーズからPorticoプラグインエフェクトの開発まで~ Part.2


[図7]RND社にて、ヤマハ関係者とRND社Rupert Neve氏、Josh Thomas氏(左から3人目、4人目)とともに

  • 3.RND社とのコラボレーション

VCM技術の特性の再現性や音楽的な力については様々な評価活動やDM2000・02R96・PM5D・M7CLの顧客・エンドーサからの情報で確かな手応えとして感じられました。しかし、我々ヤマハ・K’sLabの技術がいかに良くても簡単に世間が納得してくれるものでもありません。世の中に我々が持っている技術力を、音楽性の高さを証明するためには我々自身が何か非常に高い目標を達成する必要性があるように思われました。それはどのようなものであるべきか?
一つ、間違いなく王道の方法としてあるのは、アナログの有名な機材をエミュレーションすることです。それも誰もがやっているものではなく、どこのベンダーもまだエミュレーションを成し遂げていない、それでいて有名な「あの機材」であることが望ましい。社内での色々な議論の中でNeve氏のRND社が発売しているアナログのアウトボード、Porticoシリーズが候補として挙がりました。しかしNeve氏は今までアナログ一筋で仕事をして来ており、生半可なことでデジタルの音響処理が得意なベンダーと組むとは思えませんでした。その時、一つの情報がもたらされました。Neve氏がデジタルでの技術開発にも興味を持ち始めていると。兎にも角にもRND社を訪問しRupertNeve氏とミーティングをすることになりました。
2007年のある夏の日、我々はNeve氏の私邸を訪ねました。我々の技術力を証明するためにRND社のイコライザーとコンプレッサーをエミュレーションしたいと言う熱意を伝えるとともに、我々には大いなる準備がありました。K’sLabではその頃、アウトボードやコンソール搭載の古今のイコライザーをつぶさに研究し、どんなアナログのイコライザーでもエミュレーションできる技術を蓄積しつつあったのです。それは技術と言うよりノウハウや知見と言った方がいいもので、実際のところ世界中のあらゆるEQをスイッチ一発で模倣する「サンプリング技術」などと言うのは存在し得ない、と言うのもその知見の教えるところでした。ビンテージEQの特性をデジタルで再現する、と言う所業は「一つのソフトウェアによる特性のキャプチャリングによっての再現可能」と言うことにはならない。ノウハウによって個別最適された手法で手間隙をかけて初めて可能になる、と言うのが我々の得ている結論でした。
我々はNeve氏の自宅書斎でのミーティングでVCM技術とその周辺の事情について説明をしました。その時、VCM技術でなし得ることの一つの例として、Neve氏開発の60〜70年代のイコライザーの特性を再現するための技術をK’sLabでは既に確立していることを説明しました。また我々が、33609などのビンテージコンプレッサーに固有のフィードバック方式コンプレッションをデジタルできちんと再現できる数少ないベンダーであることも説明しました。Portico5043の仕様を見ると、Neve氏がフィードバック方式のコンプレッサーのサウンドにこだわりを持っていることが想像されたためです。そして実際そのミーティングではNeve氏は現状の多くのプラグインエフェクトでのフィードバック方式コンプレッサーへの不満を表明していました。また、我々にとってはモデリングは仕事の半分であり、K’sLabでは音楽的なサウンドを得るためのフィッティングやチューニングに多くの労力を割いていることについても説明しました。
これらの準備と説明が功を奏して、その日の夕方、Neve氏から我々にヤマハ・K’sLabと組みたいとの意思表示がありました。後で分かったことですが、RND社にはそれまでにも幾つかのプラグインエフェクト開発を業とするベンダーからのアプローチはあったそうですが、それらはことごとく拒絶していたそうです。我々がRND社とのコラボレーションを行うチャンスを得られたのは、K’sLabの技術やアナログ機材の測定データ的な再現に長けていたと言うことだけではなく、我々が音を第一考えて仕事をしている、ということを理解してくれた結果でした。それなしにはヤマハ・K’sLabがRND社との協業と言うフェーズに進むことはなかったでしょう。

  • 4.Porticoのイコライザ・コンプレッサーのモデリング

VCM技術を使ったモデリングの作業は大きくはイコライズやコンプレッションのような機能の実現とアンプやトランスによる音の味付け(我々は「音味」と呼んでいます)の実現の2つに分けられます。多くの場合は機能の実現がまず先行します。
Portico 5033 Equalizerの「フィルター」としての(言い換えるなら伝達関数の)特長は何と言ってもNeve氏得意の独特なシェルフフィルターの特性にあります。
[図8]NEVE1073のローシェルフ(ゲイン変化)

[図9]Portico5033のローシェルフ(ゲイン変化)

[図10]Portico5033のローシェルフ(周波数変化)

図8、図9、10はNeve氏が60年代後半に開発した有名なNEVE1073とRND社のPortico 5033のローシェルフの振幅周波数特性を示します。Neve氏のこの時代の大きな功績にシェルフフィルターの振幅周波数特性の肩の部分にオーバーシュートを上手にあしらうことによりシェルフの周波数特性を理想形にうまく近づけてまとめる、ということがありました。Neve氏はこのような周波数特性の実現をこの時代から他社に先んじて設計に取り込んでいて初期の1073からFocusrite ISAイコライザーへと引き継がれて行きました。後にこうした特性はSSL社の4000シリーズなどにも大きな影響を与えましたが、Porticoではこの美点がより近代的な回路技術の中に昇華され実現されています。Neve氏のここでのこだわりは大きく言えばシェルフでは台形状の振幅周波数特性の形が理想であると言うことになります。オーバーシュートを注意深く設定すると理想特性に近い振幅周波数応答が得られるわけです。そしてそのオーバーシュートが周波数の設定によって微妙に変化をする、という2次元的な特性変化を持っており、ここまで周到に振幅周波数応答を扱えることこそがNeve氏の匠の真骨頂と言えます。
Portico 5033のローシェルフを実現する4次のフィルタ伝達関数にここまでの作りこみがなされていた訳ですが、それをデジタル領域で近似するのはVCM技術を用いれば難しいことではありませんでした。ローシェルフの特性、図9(オリジナル)と図11(VCM技術でデジタルで実現したもの)を示しますので見比べてみて下さい。
[図9]Portico5033のローシェルフ(ゲイン変化)

[図11]Portico5033プラグインのローシェルフ(ゲイン変化)

Neve氏にこのようなシェルフフィルターの特性の意味を伺うと、60年代は特にそうですが2トラックにミックスされた状態の音楽コンテンツをイコライザで操作することでミックスバランスを変える必要があったため、と言う逸話を話しておられました。2ミックスされた状態でギターやベースやドラムのバランスを変えるためにこのようなシェルフの特性が作り込まれ、それは現代の音楽シーンにおいてもミックスバランスを変るため、あるいは個別の楽器音の音作りをするための切れ味のいいツールとなっています。そういう時代を超えた普遍性をあの時代に作り込めた才能にはただただ敬服するしかありません。
さて、Portico 5043 Compressorにおいて特にユニークなのはFBというスイッチです。これはコンプレッサーのゲイン制御方式を切り替えるものです。コンプレッサーというのは、主に音量を検出してゲインリダクション量を算出するコンポーネントと、実際入力信号に対してゲインリダクションを与える(つまり入力信号をコンプレスする)コンポーネントからできています。コンプレッサーの制御方式とは、この二つのコンポーネントの関係をフィードフォワード方式にするかフィードバック方式にするかということです。Portico 5043は、FBがオンの時にはフィードバック方式で動作し、オフの時にはフィードフォワード方式で動作します。
[図12]フィードフォワード方式のコンプレッサー

[図13]フィードバック方式のコンプレッサー

実は現代的なコンプレッサーにはフィードフォワード方式が多く、ビンテージコンプレッサーはフィードバック方式がほとんどです。これは、1970年代中盤に開発されたVCAチップによってフィードフォワード方式のコンプレッサーが簡単に構成できるようになったためです。dbx 160などの現代的なコンプレッサーはフィードフォワード方式ですが、それより古い時代に開発されたUREI 1176やTELETRONICS LA-2Aといったコンプレッサーはフィードバック方式になっています。この制御方式の違いは音の違いにも現れます。コンプレッサーの音質は様々な要因で決まりますが、制御方式もその一つです。フィードフォワード方式はナチュラルでサラッとした効きであり、フィードバック方式は粘りが出て腰のある音になります。
Portico 5043のFBスイッチも、やはりNeve氏の深い見識の賜物と言えるでしょう。かつてNeve氏が60年代後半に開発したNEVE2254を始めとするコンプレッサーはフィードバック方式です。現代的なフィードフォワードコンプレッサーの音の良さも、ビンテージコンプのフィードバック方式の良さも知り抜いたNeve氏だからこそ、それらを切り替える機能を実装したのだと思います。
VCM技術では、この制御方式を切替える機能も正確にモデリングしています。図14、15は、実物とモデリングのアタック波形を比較した図です。(図では少し分かりづらいのですが)FBがオンの時の、オーバーコンプによるエンヴェロープ波形の微妙なへこみまで正確に再現していることが分かります。
[図14]実物のアタック波形(FBオン)

[図15]モデリングのアタック波形(FBオン)

このようにPorticoのイコライザーやコンプレッサーの基本特性(挙動)の部分のモデリングは比較的早期に完成し、Neve氏にオリジナルハードウェアと比較して確認、納得いただけました。後は音味の完成が仕事としては残りました。

  • 5.アンプ・トランス部分のモデリングとプラグインエフェクトの完成

Portico 5033/5043の入力段と出力段のアンプやトランスは、Porticoの音味を形成する重要な部分であり、モデリングにおいても欠かせない部分です。これらはEQ/コンプレッサーをバイパスにしても信号が通る部分なので、Porticoをラインアンプとして使用した場合にもサウンドがより音楽的になるという効果があります。このアンプやトランスの持つサウンドこそがNeve氏のサウンドの土台を成す部分であり、その上に音楽的な効きを持つEQやコンプレッサーが組み合わされたものが、Portico 5033/5043であると言えるでしょう。
アンプやトランスのモデリングでは、回路図だけでなく、Neve氏から提供していただいたドキュメントが非常に役に立ちました。そこにはNeve氏の設計思想をまとめた文書も含まれていました。つまびらかにはできませんが、そこにはNeve氏の設計技術とその意図、そして音に対するこだわりが書かれており、”良い音”を追求しようとする尽きせぬ情熱が込められていました。
アンプ回路やトランスの設計もまた、Neve氏の技術力と、音楽や音に対する深い造詣の結晶であると言えるでしょう。その本質は、”音楽的な歪みの形成”と言えます。アンプ回路の設計とトランス自体の設計はそれらの絶妙なバランスによって、サウンドが音楽的になるように構成されています。例えばアンプ回路はディスクリート回路であり、最終段はプッシュプルであるけれどもクロスオーバー歪みが出ないような回路的な工夫が凝らされています。これによってピュアーなサウンドが得られるということは、長年に渡る音を第一とする設計の経験から、Neve氏が得た知見によるものでしょう。
また、音響機器・オーディオ機器メーカの中でもオーディオトランス自体の設計を自分で行う開発者は稀有であり、そこにNeve氏のサウンドの秘訣があります。それは、Neve氏がトランスメーカー設計者としてそのキャリアをスタートしたことにより彼が得た「魔法」のようなもので、彼の設計になる製品は初期のNEVE社製品から現在まで、必ず自らの設計によるトランスが採用されています。
そしてPorticoにもNeve氏の設計によるトランスが、入力段にも出力段にも搭載されています。しかしそれは、古いトランスの焼き直しではなく現代的なサウンドに合うように新たに設計されたもので、トランス周辺の回路にも工夫が凝らされ、トータルで音楽的に作用するように設計されています。
このように、Neve氏の技術の結晶たるアンプ回路・トランス・周辺回路とそれらのバランスで、Porticoのサウンドの土台はできています。Neve氏はそのサウンドを、「”depth and perspective”が重要」と表現します。そして”depth and perspective”は、一流のアナログ機材が持つ”sweetness”だとも。それにより音の余韻感を大切にすることや、録音環境がきちんと再生音に再現されることなども挙げておられます。そうしたことこそがPorticoをはじめとするアナログ機材の開発でNeve氏が大切にしている部分であり、Neve氏のサウンドの核とも言うべき部分なのです。
したがって単に周波数特性が似ているということだけではなく、その”sweetness”をデジタルフォーマットで実現することが我々K’sLabの仕事で最も大切なことのひとつでした。アンプやトランスのモデリングを通して、Porticoの持つ”depth and perspective”を実現することに我々は力を注ぎました。当初、それまでのVCMエフェクト開発の中で作られたアンプやトランスのモデルを使って、Porticoのアンプ回路やトランス及び周辺回路をモデリングしてみましたが、なかなかPorticoの音は完全には表現できませんでした。
それは、それぞれのモデルにそれぞれの機材のキャラクターが反映されており、Porticoのサウンドの方向性とは異なっていたからでした。そこで我々は、VCM技術によるたくさんのモデルやパーツと、新たに案出した技法を全てテーブルに広げ、ひとつひとつをコンサルタントと共に音質評価をして、Porticoの音を表現できるモデルを一から組み上げ直し、パラメーターを追い込んで行きました。試作・調整しては評価してまた試作する、という作業を繰り返した結果、作って捨てたパーツは30個以上になっていました。
そして最後にはNeve氏に100%納得していただける音を実現することができました。その完成度をオリジナルと比較しつつ、Neve氏は次のような文で評してくれました。
「The behavior and response is identical. The performance and the sonic signature are accurately captured.」
[図16]Porticoに実装されているトランス

  • 6.あとがき

VCM技術はシンセサイザーやデジタルミキサーのオーディオ信号処理技術として発展して来ました。一方、今回PorticoプラグインエフェクトはSteinberg社のディストリビューションによるVSTプラグエフェクトとして発表されました。
この後、ADD-ON EFFECTやMotifXFなどに搭載されたエフェクト群もVSTプラグインエフェクトとして発売いたします。VCM技術とその製品の今後のさらなる展開についてはまだ発表できる段階ではありません。
デジタルミキサーの黎明期は、シーンメモリーなど機能面での利便性が重要視されてきましたが、今後はよりサウンド面、つまりイコライザーやコンプレッサー等のクオリティーがミキサーの特長を決める大きな要素を担ってくると考えます。その点において今後も進化し続けるVCM技術はヤマハデジタルミキサーのサウンド面におけるキーテクノロジーとなることは間違いありません。

国本利文氏 プロフィール
982年北海道大学工学院電気工学科修士了。
在学中立東社の「だれにもわかるエフェクター自作&操作術」の一ライターとして業界デビュー。1982年ヤマハ㈱に入社し、以後電子楽器・音響機器とそのための信号処理技術の開発・研究に従事。通称「K’sLabを主宰するDr.K」と呼ばれるようになる。現在ヤマハ㈱研究開発センター長
小村肇氏 プロフィール
小村肇 2002年大阪大学大学院基礎工学研究科修士了。同年、ヤマハ㈱に入社、と同時にK’s Labに配属。音楽好きのサーファー。現在、ヤマハ㈱研究開発センター技師補

*記事中に掲載されている情報は2011年12月16日時点のものです。