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澤口 耕太
広範な知識で国内セールスから海外折衝、Web構築まで業務の垣根を軽々と超えるフットワークを発揮。ドラマーらしからぬ類まれなタイム感で毎朝のROCK ON PROを翻弄することもしばしば。実はもう40代。
株式会社WOWOW様 / 現代の音声中継車に求められる技術の粋
1984年に初の民間衛星放送事業者として設立され、1991年から30年間以上の長きにわたり良質なコンテンツを提供する株式会社WOWOW。有料放送局として視聴者に常に高いクオリティのコンテンツを届けるため、最新のテクノロジーを取り入れることにも積極的に取り組んでいる。同社に16年ぶりとなる新型音声中継車が導入されたということで早速取材に赴いた。精悍で剛健な外観から想像される以上の設備と機能をその内部に備えた最新音声中継車の全貌をご紹介したい。
実に16年ぶりの新規配備となった最新の音声中継車は、2025年3月にWOWOW放送センターに配備されており、すでに4月には「TM NETWORK YONMARU+01 at YOKOHAMA ARENA」の収録のために、横浜アリーナで実運用デビューを飾っている。
この最新の音声中継車は96kHzハイレゾ収録、7.1.4chと5.1.4chのDolby Atmos制作への対応、Danteをフル活用したIP化など、最新の制作技術が惜しみなく投入されているだけでなく、生中継では必須となるシステムや電源の冗長性や車両としての機動性、そして、拡幅機構による2つのミックスルームなど、運用面での利便性・確実性も担保されており、現代の音声中継車に求められる技術の粋を集めた仕上がりになっている。
その中でも現場にとって待望の新機能が96kHzによるハイレゾ収録・制作への対応だ。音声中継車によるリアルタイム96kHz制作が可能になったことの恩恵がもっとも大きいと考えられるのは、やはり、音楽コンテンツの制作においてであろう。そもそも、WOWOWにとって「音楽」は開局時に掲げた5つの柱のひとつであり、同社が収録したコンサート映像が地上波で使用されたり、そのままDVDパッケージに使用されることがあるほど、音楽コンテンツ業界における同社の存在感は現在に至るまで非常に大きいものがある。
レコーディング・スタジオやコンサートSRの現場ではすでに96kHz制作が浸透しているため、音声中継車が96kHzに対応するということは、例えばコンサート収録においてはFOHミキサーからの音声をダウンサンプリングすることなく受け取り、リアルタイムにコンテンツ用のミックスをおこなうことができるということを意味する。もちろん、マスターを高いクオリティで制作することができていれば、配信先・放送先のプラットフォームに応じたフォーマットにコンバージョンする際の品質も同時に確保されるわけだ。
これは制作ワークフローだけの恩恵ではなく、アーティストにとっても大きな意味を持つだろう。一部の音楽ストリーミング・サービスやなどでは、CDよりも高いクオリティのコンテンツを視聴できる環境が増えつつある現状で、コンサートが可能な限り自分たちの意図したクオリティのまま収録されているというということは、アーティストたちにとってもまさに「待望」の出来事だと言えるのではないだろうか。
新音声中継車のもうひとつの目玉と言えるのが、内部に2つのイマーシブ対応ルームを持っている点だ。WOWOW新音声中継車は車両の前後でふたつのミックスルームに分かれる2ルーム構成を取っており、同社では車両後方を「Room-A」、前方を「Room-B」と呼称している。
呼称の通り、どちらかと言うとRoom-Aがメイン、Room-Bがサブという扱いになる。こうした構成を取る場合、車両サイズの都合でどうしてもサブ側は狭くなりがちだが、新音声中継車では車両前半分の左側面が外側にせり出す拡幅機構を搭載することで、Room-BにもRoom-Aと遜色ない居住性と音響性能を持たせることに成功している。
これにより、Room-Aは7.1.4ch、Room-Bは5.1.4chのDolby Atmos制作が可能な仕様になっており、1台の音声中継車でふたつのイマーシブ制作を並行しておこなうことができるようになっている。ふたつのミックスルームは、ひとつのプログラムのためのメイン&サブとして使用することができるのはもちろん、別々のプログラムのためのミキシングを同時におこなう両メイン運用をおこなうことも可能だ。例えば、音楽フェスのライブ中継で異なるふたつの会場の収録・制作を同時に実施する、Room-Aで音楽プログラムをミックスしRoom-Bではテレビ放送用にレベル管理やテレビ独自のコンテンツを付加したミックスを制作する、といった柔軟な運用が可能になっている。
Room-Aはサウンドクオリティに定評のあるmusikelectronic geithain、Room-BはGenelec製のスピーカーで構成されている。Room-AはLCRがRL933K、平面とハイトのサラウンドがRL906という構成。Room-Bは平面チャンネルが8331A、ハイトは8010となっている。8010以外は同軸仕様のモデルが選定されており、限られたスペースでのイマーシブ制作において最大限のモニター品質を担保するという意図が読み取れる構成になっている。
誤解を恐れずに言うと、「ハイレゾ」「イマーシブ」と聞くと、テレビで放送できないフォーマットにWOWOWが対応することに意味があるのか、と考える方もいるかもしれない。たしかに、WOWOWは前述の通り放送事業者としてスタートを切っており、WOWOWといえば衛星テレビ放送、というイメージを持っている方もいるかもしれないが、同社は今や放送事業に留まらない多様なエンドコンテンツの制作・配信にも携わっている。2007年よりスタートした自社映画レーベル「WOWOW FILMS」による映画事業、2021年開始のインターネットによるVODサービス「WOWOWオンデマンド」といった自社サービスに加え、さまざまなプラットフォームにおけるストリーミング・サービスを提供する各社からの制作業務の請負など、ハイレゾ対応によって視聴者の体験を向上させるための素地はすでに十分に整っていたと言えるだろう。
新音声中継車と関係が深そうなものとしては、「WOWOW FILMS」による映画館でのコンサートライブ上映などという大掛かりなコンテンツも存在している。特に、インターネットベースのコンテンツに関しては、2020年のコロナ禍をきっかけに爆発的に発展し、幅広いユーザーへの浸透を果たした。今後、さまざまなエンドコンテンツがさらにそのサービスを充実させるであろうことを鑑みれば、そもそも最新技術の導入に積極的なWOWOWがこの段階でハイレゾ / イマーシブに対応した機動性の高い制作環境を導入することは、未来のための大きな布石になり得るだろう。
たしかに、現時点ではハイレゾ / イマーシブの恩恵を直接に体験できる視聴者は少ないかもしれない。しかし、収録後に放送フォーマットに落とし込むとしても、その元となる素材を可能な限り高いクオリティで収録しておくということには大きな意味がある。みずからの意図した音を可能な限りそのまま残したいというアーティストの要望、遠くない未来に放送や配信でハイレゾ / イマーシブが標準的に体験できるようになったときに、2025年にWOWOWが収録した素材がそのまま使用されるという可能性など、すでに現時点でもその活躍の仕方はいくらでも思いつくからだ。
前述の通り1台に2部屋を備えたWOWOW新音声中継車だが、システムの中核となる音声卓にはSSLの次世代ブロードキャストオーディオプロダクションシステム System Tが採用されている。System Tはコンソールに関わるコンポーネントがすべてDanteで接続されており、ハイサンプリングレートによるマルチチャンネル伝送に大きな強みを持つ。
さらに、Danteではひとつの機器を二重ネットワークで接続することができるため、中継業務において必須と言える冗長性の確保にも貢献している。冗長性という点でいうと、主要機器の電源二重化、無停電電源の積載、さらには車両後部には発電機を搭載するなど、音声信号だけではなく、電源瞬断のようなトラブルにも対応できる仕上がりになっている。
Room-AにはSystem TのフラッグシップであるS500(64フェーダー)、Room-BにはひとまわりコンパクトなS300(32フェーダー)が導入された。Room-AとRoom-Bは完全に独立したミックスルームとしての運用はもちろん、内部でDante接続されているため、ひとつの音声プログラムを共有することも可能。つまり、Room-AのサブとしてRoom-Bを運用することも可能ということだ。IP伝送の強みである柔軟性の高さを最大限に活用していると言えるだろう。
System Tのステージボックスには、5Uサイズのユニットで二重化電源と32系統のマイク・ライン入力 / 16系統のアナログライン出力、そして 4系統ずつの AES ペア入出力を装備するSB 32.24を採用。9台ものステージボックスを使用することで、288chアナログインプットを実現している。現在も稼働する従来の同社音声中継車が160chアナログインプットだったため、実に2倍近い規模に拡張されていることになる。インカムもRIEDEL Artist 1024、BOLERO Wireless Intercomが採用されており、音声信号だけでなくインカムもIPベースでの伝送となっている。
なお、WOWOW放送センターでは、副調整室6室すべてがDanteで接続されており、信号分配の核となる回線センターはST-2110に対応済と大規模にIP化を実現している。WOWOW全体でのIPベースでの信号運用に対する心理的ハードルはかなり低くなっている様子だ。
Danteメインの構成による意外な恩恵として、設備の軽量化にも貢献しているという。総重量が20tを超える車両が公道を走る場合、走行するすべての経路上の公道において、それを管轄する自治体への事前の申請が必要になるそうだ。数多くの機材を搭載し、拡幅機構まで備えた音声中継車の場合、この20tを確実に下回ることは存外に難しいようで、Ethernetケーブル1本で最大256chを伝送できるDanteの採用による車両総重量の軽量化は、音声中継車としての現実的な運用を考えるとかなり大きな貢献を果たしていると言えるだろう。
ユーザーの視聴体験をベストなものにするべく、常に新たな試みに挑戦してきたWOWOW。コンテンツ体験というものが大きな転換を迎えようとするこのタイミングで、現時点での最新テクノロジーを集結した音声中継車の登場というトピックは、制作側であるWOWOWだけでなく、それを享受する視聴者にとってもまさに「待望」だったと言えるだろう。取材に応じてくださったWOWOW戸田氏は、この新音声中継車を使って外部からの業務も積極的に受託したいと意気込みを語ってくれている、この音声中継車はさらなるコンテンツ制作の可能性を高めていきそうだ。
*ProceedMagazine2025号より転載
*記事中に掲載されている情報は2025年09月03日時点のものです。