本サイトでの Cookie の使用について

Shibuya 03-3477-1776
Umeda 06-6131-3078

«Works

Author

澤口 耕太

広範な知識で国内セールスから海外折衝、Web構築まで業務の垣根を軽々と超えるフットワークを発揮。ドラマーらしからぬ類まれなタイム感で毎朝のROCK ON PROを翻弄することもしばしば。実はもう40代。

音響芸術専門学校様 / 未来への入口となるイマーシブ・システム教室

1973年に、国内では初となる音響制作技術の専門教育機関として開校した音響芸術専門学校。この夏、同校教室に満を持してイマーシブ・システムが導入されたということで、早速取材に伺った。応じてくれたのは同校学校長・理事長の見上 陽一郎 氏。イマーシブ・サラウンドの要であるスピーカーの選定や、教育機関ならではのテクノロジーに対する視点など、これからイマーシブ・システムを教室へ導入するにあたっては大いに参考となるだろう。

シンプルかつ充実したシステム

今回、音響芸術専門学校が導入したのは7.1.4ch構成のイマーシブ・サラウンド・システム。学内の教室のひとつを専用の部屋にしたもので、教室の中央前方寄りの位置にトラスとスタンドを使用して組まれている。教室の隅に12Uの機器ラックが置かれており、システムとしてはこれがすべてというコンパクトさだ。機器ラックにはPro ToolsがインストールされたMac Studioのほか、BDプレイヤー、AVアンプ、そしてオーディオI/FとしてMTRX Studioが収められている。MTRX StudioにはThunderbolt 3オプションモジュールが追加されており、Mac StudioとはHDXではなくThunderboltで接続されている。そのため、HDXカードをマウントするための外部シャーシも不要となっている。

MTRX II、およびMTRX Studioに使用することができるThunderbolt 3モジュールの登場は、オーディオ・システム設計における柔軟性を飛躍させたと感じる。MTRXシリーズがHDXカードなしでMacと直接つながるということは、単にオーディオ I/Oの選択肢を広げるということに留まらず、256ch Dante、64ch MADIなどの接続性や、スピーカーマネジメント機能であるSPQをNative環境に提供するということになる。さらに、1台のMTRXに2台のMac(+HDX)を接続できるため、DADmanの持つ巨大なルーティング・マトリクスを活用した大規模なシステム構築をシンプルに実現することも可能だ。そして、こうした拡張の方向とは逆にNative環境でDADmanを使用できるということは、MacとMTRXだけで外部機器とのルーティングやモニターセクションまでを含めたオーディオ・システム全体を完成させることができるということを意味する。音響芸術専門学校のようにシステムを最小化することもまた、Thunderbolt 3モジュールの登場によって可能となるということだ。

スピーカーに選ばれたのはEVE Audioで、2Wayニアフィールド・モニタースピーカーSC205とサブウーファーTS108の組み合わせ。ハイト4本はStage Evolutionの組み立て式パイプトラスにIsoAcousticsのマウンターを介して、平面サラウンド7本はUltimate Supportのスピーカースタンドを使用して設置されており、部屋の内装に手を加えることなくイマーシブ・システムを導入している。

📷イマーシブ・システムの組み上げで課題となるのはハイトの設置をどう行うかだろう。今回の組み上げでは照明用の製品を数多くリリースするStage Evolutionのトラスを使用した。コストパフォーマンスに秀でているだけでなく、堅牢な作りでスピーカーを支えており、ここにIsoAcousticsのマウンターを使用してハイトスピーカーを設置となっている。このように内装工事を行うこともなく簡便にイマーシブ環境を構築できるのは大きな魅力だろう。

国内初となるEVE Audioによるイマーシブ構築

EVE Audioによるイマーシブ・システムの構築は国内ではこれが初の事例となる。今回の導入に先立ち、音響芸術専門学校では10機種におよぶスピーカーの試聴会を実施しており、並み居るライバル機を押さえてこのEVE Audioが採用された格好だ。試聴会には同校の教員の中から、レコーディング・エンジニア、ディレクター、バンドマン、映像エディターなど、様々なバックグラウンドを持つ方々が参加し、多角的な視点でスピーカーを選定している。

試聴したすべての機種に対して、帯域ごとのバランス、反応の早さ、 全体的な印象などを数値化した採点を各教員がおこなったところ、このSC205ともう1機種の点数が目立って高かったという。「試聴会の段階ではまったく予備知識なしで聴かせてもらって、評価の高かった2機種の価格を調べたら、もう1機種とSC205には価格差がだいぶありました。SC205は随分コスパよくない?という話になり、こちらに決まったという感じです」とのことで、必然的に数多くのスピーカーを揃える必要があるイマーシブ・システムにおいては、クオリティの高さだけでなく費用とのバランスも重要であることが改めてわかる。SC205の音については「すごくバランスがよくて、ハイもよく伸びているし低音のレスポンスもすごくクイック。そして、音量が大きめの時と小さめの時であまりバランス感が変わらないところが気に入った」とのことで、 こうした特性も多数のスピーカーを使用するイマーシブ環境において大きな強みと言える。

そのEVE Audioは、リボンツイーターの実力をプロオーディオ業界に知らしめたADAM Audioの創立者でもあるRoland Stenz 氏が2011年に新たにベルリンで立ち上げたメーカー。ADAM Audioと同じくAir Motion Transformer(AMT)方式のリボンツイーターが特徴的だ。一般にリボンツイーターはドームツイーターと比べて軽量のため反応が早く、高域の再生にアドバンテージがある一方で、軽量であるがゆえに能率においてはドームツイーターに劣ると言われている。

これを解決しようとしたのがAMT方式で、この方式ではリボンが蛇腹状に折りたたまれており、折り目に対して垂直方向に電流が流れるように設計されている。すると、蛇腹のヒダを形成する向かい合った面には必ず逆方向の電流が流れるため、ローレンツ力(フレミングの左手の法則で表される電磁場中で運動する荷電粒子が受ける力)によってヒダは互いに寄ったり離れたりを繰り返す。この動きによって各ヒダの間の空気を押し出す形となり、従来のリボンツイーターと比べて約4倍の能率を得ることができるとされている。

また、EVE Audioは当初からDSPによるデジタル・コントロールをフィーチャーした野心的なブランドでもある。再生する帯域に対する適切なユニットのサイズ設計が難しいとされるリボンツイーターを採用しているEVE Audioにとって、クロスオーバーを精密にコントロールできるデジタル回路の搭載はまさに鬼に金棒と言えるだろう。アナログ的な歪みがそのブランドの味だと捉えることもできるが、スピーカー自体が信号に味をつけるべきではないというのがEVE Audioのコンセプトだということだ。

導入の経緯と今後の展望

2021年にApple MusicがDolby Atmosに対応したことをきっかけに、音楽だけでなくあらゆる分野で国内のイマーシブ制作への関心は年々高まっていると感じる。今回の音響芸術専門学校のイマーシブ・システム導入も、そうした流れを受けてのものかと考えていたのだが、専門学校と最新テクノロジーとの関係というのはそれほど単純なものではないようだ。


📷学校法人東京芸術学園 音響芸術専門学校 理事長/学校長 見上 陽一郎 氏

「最先端のものを追いかけても、それが5年後、10年後にはもう最先端ではなくなるし、なくなってしまっているかも知れない。2年間という限られた時間の中で、何がコアで何が枝葉かということは見極めていかないといけません。」と見上氏が言うとおり、軽々に流行りを追いかけてしまうと、学生が身につけなければならなかったはずの技術をないがしろにしてしまう結果になりかねない。専門学校と四年制大学のもっとも大きな違いは、専門学校が実際の現場で活用できる技術の教授をその主な目的としている点にある。それぞれの校風によって違いはあるものの、専門学校と比較すると、大学という場所は研究、つまり知的探求にかなりの比重を置いている場合がほとんどである。学生の卒業後の進路を見ても、大学で音響研究に携わった学生はオーディオ・エンジニアにはならずにそのまま研究職に就くことも多く、制作現場に就職する割合は専門学校卒業生の方がはるかに高いのだという。

極論すれば、大学ではステレオ制作を経験させることなくいきなりイマーシブ・オーディオに取り組ませることも可能であり、将来的にはそうした最新技術をみずから開発できるような人材の育成を目指しているのに対して、制作現場でプロフェッショナルなエンジニアとして活躍できる人材の育成が目的である専門学校にとっては、イマーシブ制作よりも基本となるモノラルやステレオでの制作技術を2年間で身につけさせるということの方が絶対的な命題ということになる。

そうした中で、同校がイマーシブ・システムの導入に踏み切ったきっかけのひとつは、実際に現場で制作をおこなうことになる専門学校生が在学中にイマーシブ制作に取り組むべき時期が来たと感じたからだという。「私はJASのコンクール(RecST:学生の制作する音楽録音作品コンテスト)の審査員や一般社団法人AES日本支部の代表理事を務めているのですが、そのどちらの活動においても、今は大学や大学院に在籍している方々が出してくる作品で2チャンネルのものというのは非常に少くて、大半がイマーシブ・オーディオ系なんです。ただし、 学生時代にそういったマルチチャンネル再生の作品を一生懸命作った大学生や大学院生の大半が、レコーディングエンジニアやMAエンジニアの道へ進まず、実際にその作品づくりをするエンジニアになるのは当校の卒業生など専門学校出身者が中心です。そこで、これからこういう分野リードしていくためには、やはり私たちの学校でもこうしたシステムを導入して、イマーシブ・オーディオ作品を専門学校生が生み出していくようにしないといけないよね、ということをこの2、3年じわじわと感じていたんです。」

導入されたばかりのイマーシブ・システムの今後の運用については、大きく分けてふたつのことを念頭に置いているという。ひとつは、すべての学生にイマーシブ・サラウンドという技術が存在することを知ってもらい、その技術的概要に関する知識を身につけ、実際の音を体験させるということ。「こういうシステムを組むときにはどういう規格に基づいて組まれているのかとか、どんな機材構成になっているのかとか。どのようなソフトを使って、どういう手順で作品が作られているのか。ここまでは全学生を対象に授業でやろうと考えています。つまり、卒業後に現場で出会った時に、イマーシブ・オーディオの世界というのが自分にとって未知のものではなくて、授業でやりました、そこから出てくる音も聴いています、というような状態で学生を世に送り出そうということです。これが一番ベーシックな部分で、全学生が対象ですね。」

もうひとつは、特に意欲の高い学生に対してカリキュラムの枠を超えた体験を提供すること。同校は27名のAES学生会員を擁しており、これは日本の学生会員の中では圧倒的に人数が多い。彼らはAESやRecSTを通して同年代の大学生たちのイマーシブ作品から大いに刺激を受けているようで、卒業制作で早速このシステムを使いたいという学生もいるという。そうした学生の意欲に応えるということも、今回の導入の理由になっているようだ。「2年生の夏ごろになると、2chなら大体ひと通りのことはできる状態になっています。そうした学生たちはこのシステムもすんなり理解できますね。もう、目がキラキラですよ、早く使わせろって言って(笑)。」

ちなみに、機器ラックの上にはPlayStation 4が置かれているのだが、 学校としてはこのシステムを使用してゲームで遊ぶことも奨励しているという。「語弊があるかも知れませんが、ここは学生に遊び場を提供しているようなつもり。作品づくりでもゲームでも、遊びを通してとにかくまずは体験することが重要だと考えています。」とのことだ。実際に学生はゲームをプレイすることを通じてもイマーシブ・オーディオの可能性を体験しているようで、ここでFPSをプレイした教員がとてつもなく良いスコアを出したと学内で話題になったそうだ。見上氏は「そうした話はすぐに学生の中で広まります。そうやって、興味を持つ学生がどんどん増えてくれたらいい」と言って微笑んでいた。


NYやロンドンへの出張の際は、滞在日数よりも多い公演を見るほどのミュージカル好きという見上氏だが、海外の公演で音がフロントからしか鳴らないような作品はもうほとんどないのだという。それに比べると国内のイマーシブ制作はまだまだこれからと言える。その意味で、将来、制作に携わる若者たちが気軽にイマーシブを経験できる場所ができたことは確かな一歩である。「このくらいの規模、このくらいのコストで、こういうところで学生たちが遊べて作品を作って…これが当たり前って感じる環境になってくるんだったらそれで十分ですよね」と見上氏も言うように、イマーシブ・オーディオ・システム導入に対する気持ちの部分でのハードルが少しでも下がってくれればよいと感じている。


 

*ProceedMagazine2024-2025号より転載

SNSで共有
*記事中に掲載されている情報は2025年01月02日時点のものです。